八月の狂詩曲
今日、和歌山の実家では迎え火を焚いたそうだ。仏さんが家に帰る道を見失わないための目印だと聞いて、他の家でも火を焚いたらどの家か分からなくなるではないか、と息子。加えて「仏野郎は何処から来るんだ」などとおちょけるから怒られて、仏君と言い直していたらしい。
プールに墓参り、迎え火までやらせてもらって、帰省中、息子はお母さんから本当に多くのものを与えていただいた。蝉の音も入道雲もお母さんからもらったようなものだ。
多くの人が亡くなった夏に日本人の死生観は育まれる。