今日は日がな泣いたように過ごした。
電車の鉄輪から伝わる線路の軋みも、山の端に煙る霧雨も、路地裏の立ち飲み屋で酒盛りをしている人たちの顔も悲しかった。
鳩尾の辺りに不快に渦巻いていたものをここにさらけ出しても生々しいだけだ。ただ外の世界に対するなぜ、どうしての問いが止まらなくなった。出来上がった人間なんて一人もいないのになぜ…、白旗を上げていさぎよく拍手をしている人間に対してなぜ…。
なぜ・どうしてというこういう問いは、結局はuncontrollableな事態を自前の規範を公理とするロジックの世界に引き込んで矛盾を導き、勝利を得ようとする悲しい一人相撲に過ぎない。つまりは退却戦であって、己の独善性を露わにするばかり。南の海で発生する台風に論戦を挑むのと少しも変わらない。
甲斐なき戦いに疲れてプライドのレベルが下がってくると、今度は腹の中の何者かが一人称のストーリーを勝手に語り始める。けれどもこの自分語りというやつにしたって、世に数多いる人々の中からたった一人を同志として選び出して肩入れしていくんだから、余所から見ればどう見たって倒錯だろう。そこから溢れ出る湿った情動が楽天的であるはずはないし、自分しか味方のいない世界がやさしい表情で友好を差し出してくるわけもない。
仕事に身が入らないので、日暮れ後も事務所の床に寝そべって照明が天井に作る影を眺めていた。自分がこれまで人に与えようとしてきた言葉とか尊厳とか力とか、そういうものへの自負が崩れかけていた。
家に帰ると、皿の上に妻と息子が粉から作った団子が盛られている。そうだ、月は見えないけど今日は十五夜だった。飾り棚の前に、息子が描いた満月の絵が凭せ掛けてある。画用紙を真っ黒に塗って、その上にお好み焼きのような黄色い円。ウサギが杵で餅をついている。あの子の目に映る月はこんなにもやさしいのか。

結局昨夜は妻に付き合ってもらって愚痴交じりの話を二時間ほど聞いてもらった。どういう経緯だったかは忘れたが、その中で妻のある女友人の話になった。会社時代の同僚で、今も年に数度程度の連絡がある。妻が会社の人間関係に音を上げそうになっていたときに、その友達が相談に乗ってくれたという話は前に一度聞いたことがあったけど、昨夜はなぜかそのときのことをもう一度話してもらいたくなった。どういう風に相談を持ちかけたのか、席まで行ったのかメールで連絡をとったのか(社内チャットで連絡した)。食事の場所はどこで、どんな店だったか(クイーンズスクエア1Fのレストラン、客には色鉛筆が貸し出されて、テーブルに敷かれた紙のマットに自由に書いていいことになっている)。妻はどんな話をして、彼女はどんな反応をしていたのか(妻の暴露話にはいつもの剽軽なリアクション、けれども色鉛筆でメモを取りながらずっと耳を傾けて、そのときの秘密も結局最後まで洩らさなかった)、等々。
記憶を探りながら話し終え、一呼吸おいて、妻の口から「○ちゃん、恩人だね」という言葉が出たときに、この一日腹の中に沈んでいたものが少しだけ軽くなるのが分かった。青二才だったうちらに差しのべられ、傲慢になったうちらが忘れかけている、多くの人の親切がまだ他にもたくさんあるという確信が力強く湧いてきた。ずっとそうやって生かされてきたんだ。僕らの身体の中で呼吸し、沈黙を保ちながら、思い出される時をやさしげに待っている親切によって。