旅の終わりに。
十日近くにわたってお世話になった友人宅は、オーナメントの多い家だった。ペナントや皿、スプーンなどが品良く調えられたアメリカ風の室内装飾に倣って、野球の記念ボールや、旅行先の25セント硬貨などが、本棚や壁の上に掛けられている。中でも目立ったのは、暖炉やテーブルの上にいささか窮屈なくらいの間隔で並べられた大小さまざまの額縁で、そのほとんどに家族の写真が収められていた。ケネディー宇宙センターでポーズを撮るH君、野球観戦中の三人、メキシコの実家の大家族、亡くなったお母さんの写真。お母さんの写真を入れた額縁は、友人自身は決して触れることのないアップライトのピアノの上に置かれていて、その特等席から、孫の演奏の第一の聞き手として自然なまなざしを投げている。「お前もすっかりfamily manだな」とからかうと、友人は薄笑いを浮かべて「一軒家に住むこともこれから先無さそうだからな」と、分かるような分からないような言い分でごまかしていた。何につけてもそんな調子。「仕方ない」、「そんなもんだろ」。こんな台詞を何度聞いたことか。
暖炉の上に、滞在中ずっと気になっていた写真があった。彼が両親とお姉さんと一緒に写った写真で、場所はどこかのレストラン、季節は服装から夏、体格からするとアメフトをやっていた大学時代の写真だろう。窓からは昼間のありふれた光がのっぺりと伸びており、お母さんとお姉さんはテーブルのこちら側の席に着いたまま、お父さんと友人は向こう側に立ってこちら側に目線を向けている。なぜこの写真がとりわけ目に留まったかというと、カメラを見据える友人の目が、こちらの身がすくむほどの恐ろしい眼光を放っていたからだった。そんな表情はこれまで見たことがなかったし、この旅行中も一度も目にすることはなかった。
夜更かしをしながら何時間も、時には突っ込んだ話をする間にも、この写真の中の彼は一度もはっきりとは姿を出さなかった。流れでお母さんのことに話が及んでも、「あの時は看病と称して、就職活動サボれたからな」。それでも不思議と、はぐらかされているという印象は受けない。それどころか、ドライブや語らいの時間を共にもつにつれて少しずつ、写真の中の彼と親しくなっていくような気がしてくるのだった。朝、あの写真を見やってから一日のやり取りが始まると、ときどき薄笑いの間から、彼自身が見せようとしている自分の裏側を通って、写真の中の彼の心拍のような音が聞こえることがある。ハンドルを握りながら眠気を抑えるために水に伸びた手、うちの息子に投げかけられる視線、奥さんに対して合わせた歩調。どんな言動からそれを感じたのかはっきりと分からないけど、古い額縁の中に重く淀んでいた二十年の時間が揺らぎ、息遣いとなって伝わってくるような瞬間。
この旅の中で、僕に与えられた学びの一つは、彼に限らず僕の周りにいるどんな人間にも、「写真の中の彼・彼女」がいる、ということだったかもしれない。自分がこうでありたいと願う自分、自分はこうであろうと認める自分、そのどちらとも違った自分。言葉をもたず、ただ見るだけの自分。カメラに送る目線の一番奥で誰にも媚びを売らず世界を見据え、来たるべき時に向かってしっかりと己を支えている自分。山道で見かけたそんな各々の自分とすれ違い、"Hello"と声を掛け合うのが旅だとしたら、人生とはなんと素晴らしい旅だろうか。