一ヶ月前のことを思い出しながら、去年の年の暮れについて。帰国後つとめて平常に戻そうとした生活の中で、これといった事件も無かったが、当たり前のように過ぎた日もたぶん一日もなかったから。とりわけクリスマスに、サンタの役回りでプレゼントを置き、子どもが気づいて封を開けるまでの胸騒ぎは何度経験しても譬えようがない。バレてはいけないという最低限の留意に加えて、無条件の善意を通して超越的なものに身を委ねる経験をもらうために背負った不相応な役割の重さ。朝はプレゼントの存在に気づいてひそひそ声で母ちゃんを起こす声で目が覚める。包装紙も手に付かず引きちぎる小さな手の動き。「オレ、これ欲しかったんだよなぁ」、「サンタさんって、なんで欲しいものが分かるんだろうね」と無心にこちらを見上げる息子と一緒になって跳ね回りたいような興奮と、「そうなんだぁ、サンタさんスゴイね」と下手な演技でシラを切るやましさ。この落差に、目がにじんで何度も部屋を往復する。
帰国後はすぐに、とある恩人の選挙運動を手伝って師走の駅前に立っていた。選挙が終わったあとに、忘年会、クリスマスパーティーと続き、最後の忘年会が終わった翌日から熱が出た。カーテンを引いた四畳半の部屋に閉じこもって、布団の中で息を継いでいたら、辛い記憶、昔感じていた恐怖が湧いてきて熱とともに魘された。夢の中、瞼の裏を問わずそれが四日ほど続いた。30日の深夜に、ベッドライトの蛍光灯に目が覚めると、枕元に妻が座っていた。朦朧とする僕の話を聞いてから、暗がりで彼女がしてくれた話がとても良かった。彼女によると、世の中の大半の人は病院の待合室のお年寄りで、「痛い」と言わない人は、本当にどこも痛くない人と思われてしまうらしい。彼女らしい、ユーモラスで優しい話。
また半日寝て、物音で目が覚めると、息子が外から窓を拭いていた。熱はもうだいぶ下がっている。息子が気づいていないのにこちらが気づいているのは、クリスマスのサンタのようだと思って、もう一度布団の中に潜り込んだ。