昼前に妻と息子が家を出てかた一時間もしないうちに好からぬ欲望が頭をもたげた。夕方までにやるべき仕事はたくさん残っている。これまでずっとそれを押し殺すために使ってきた理由も変わらずそこにある。けれども頭の中の意志の束が劣悪な力に無理に掴まれて一所を向いてしまうと、自制や踏ん切りで元の位置に立て直すことはもうできなかった。心が完全に乗っ取られてしまった。
すぐに父と連絡を取ってザリガニとアサガオをあずけ、仕事を済まし、昨日の祭りのホットドッグをリュックに詰め込む。気づけば西の地平線に傾きかけた日を追って高速道路に乗っていた。
足柄で家を出たとメール。やがて日が暮れると、高速道路の山の向こうの名も知らぬ静岡の町から花火が上がる。伊勢の海の闇を走る車のテールライトと道路照明灯の弧の長い曲線、その上空を超えていく飛行機の影を人間の欲望、憧れのようだと思った。
お母さんの寝巻を着た妻が家の外に立っている。午前一時。二人の人間が出会うとき一人の目に映っているものはもう一人の目に映らない。山の中からかすかに届いて大きくなるバイクの音を僕は聞かなかった。
半日しかたっていないのにもう懐かしい。