和歌山から帰って、僕の部屋に入ってきた妻が、床を指さして言った。
「これ、何?」
床に置かれた袋の中身は、妻が留守の間に、僕が実家から受け取ってきた一式の茶碗だった。先日売却先が決まった亡き祖母の屋敷や蔵の中から、両親が処分するに忍びず、木箱に入った十個の茶碗を持ち帰り、その半分の五個が僕の家に分けられたのだった。木箱には昭和十年代の日付と、曾祖父の名前が墨で書かれてあり、茶碗は昭和二十年代の新聞紙に包まれていた。どういう由縁でそれが、祖母の家の所有になったのか、事情はもう両親さえ分かっていないようだ。
そんな説明をし終えない内から、妻は泣いていた。「うれしい」と言い、「おばあちゃんは、こうしたかったのかも知れないね」とも言った。興奮して頬が赤くなっていた。
晩年、僕らからの贈り物を拒んだり、受け取っても開封したまま放置していた祖母の気持ちが、妻の涙に溶けて、初めて心の中に入ってくるような気がした。この頃の祖母の貴重な話し相手が彼女であり、やさしく、反論もせず、縁が近いとも言えない祖母の身の上話にずっと耳を傾けてくれたことには感謝してきたけど、祖母のある意味身勝手でもある総括、願望、悔恨の類いを「誤解されるから誰にも言うな」と言われ、「良い顔をして」受け止め続けた彼女の中に募っていたやり場のない重責については、恥ずかしいことにこれまで一度も気づけていなかった。言いたくないが、僕の家族だって、誰一人として気づいていなかったと思う。
月並みだけど、祖母はあなたと出会えて幸せだっただろう。だから「あんたにも何か分けてあげたい」と語っていた祖母の気持ちを受け止められなかったと悔いる必要はない。口下手な祖母でも、それくらいはきっちりと伝えていたはずで、きっとそれは祖母にとって滅多に分け与えることのない詞であっただろうから。