家の裏庭の石段の上で迎え火を焚く。僕にとって迎え火に居合わせるのはこれで二回目。十二年前に書いたそのときの日記が残っていた。

2002年8月16日

おばあさんの初盆を迎えに、12日和歌山へ。

仏壇のある1階の和室からはベッドが除かれて、その代わりに新しい位牌と遺影の前に色とりどりのお供えが積み重なるように置かれていた。メロンや梨、「ゆかり」や「サッポロポテト」、それぞれが収まった箱には送り主の名を記した紙の帯が巻かれている。

夕方に、アサの皮を剥いで乾かした麻幹(おがら)を玄関前で焚く「迎え火」を行うが、その際、迎え火の細かい場所を尋ねたMちゃんへのお母さんの返答が雑だったためにMちゃんの気が立ってしまう。結局Mちゃんと奥さん、そして私の三人で、飛び石と路地との間の場所を選んで火を焚いた。自分の母親の精霊を迎える行事にさいして、細かい指示を出さずに、自分の娘二人におおざっぱに一任してしまうお母さんの姿勢が、あとで思い出すとなんともいえず美しく思われてくる。

翌日私の希望で、奥さん姉妹が幼い頃から遊んでいたという海へジムニーを借りてドライブ。加太(かだ)という、異常に遠浅で波の凪いだ浜辺で、近くに淡島神社があり、沖にはいくつかの陸地が見えたが、今地図を見てみるとあのなかには、友ヶ島、淡路島、それに四国も入っていたのかもしれない。漁港から漂ってくる腐敗した魚肉の臭い。加太から2kmほど下った磯ノ浦は、波が高くサーファーや行楽客に人気の場所だそうだが、その気配が感じられないほど人も少なく音の印象の薄すぎる光景。

帰ってきた夕刻に、40年近く前の写真を含むY家のアルバムを拝見する。これまでに何千枚もの写真を見てきたが、一枚一枚の写真にあれだけのオーラを感じたことはなかったかもしれない。オーロラは太陽からの電離した粒子が、極地の磁場に突入するさいに発する光によって現れてくる。極光にも似た薄光を放っているあれらの写真にも、美しさの理由がきっとあるのだ。

こんなものを読んで、ああそうだった、と懐かしがれるのは書いた本人だけかもしれないが、本人にとっては、まだ甥さえ生まれていなかった昔の日の貴重な陰画である。日記は残しておくもんだ。