遠出こそ少なかったものの、毎日近くの田んぼでトンボやオタマジャクシ、ドジョウを捕まえたり、公園でサッカーをしたり、おばあちゃんと銭湯の露天風呂に入ったりで、大満喫して過ごした和歌山滞在の最終日。まだ僕が起きる前の朝食時にこんな一コマがあったそうだ。
楽しすぎた和歌山を去る名残惜しさの募った息子が、明日帰らないと言い出した。来るときから帰る日は決まっていた、新幹線のチケットも買ってあると妻が諭しても聞く耳をもたず、帰っても予定がないならもっと後で帰ればいい、父ちゃんが仕事があるなら父ちゃんだけ帰ればいい、と応戦し事態は紛糾。朝の眠気も手伝って言葉も荒っぽくなり、ついには「オレは食べない!母ちゃんが食べさせて!」と健気なハンスト宣言まで出す始末。その間も妻の説得はずっと続いていたのだが、「もう帰る日は決まってるんだ。だから最後の一日、仲直りして楽しく過ごすか、このままケンカしながら過ごすか、決めるのは○君なんだ。母ちゃんは、楽しく過ごした方がいいと思う」と妻が言うと、「あ…。それはそうだよねぇ♪」と言い、テーブルに向き直って黙々とご飯を食べ始めたそうだ。彼の顔に、振り上げた拳を下すときのいつものおどけた表情が浮かんでいるのを見た妻は、涙を堪えながら「ありがとう」と息子を抱きしめる。「さっき母ちゃんは寂しくないのって言ったけど、○君も分かっているように、ばあちゃんは母ちゃんの母ちゃんなんだ。それにばあちゃんのこと考えてごらん。明日お仕事が終わって家に帰ったら、誰もいない。ばあちゃんだってすごく寂しいんだけど、それでもお仕事を頑張って、マラソンも頑張るんだと思う。そうやって皆がんばって、次に会えるときを楽しみにするんだ」。一度立て直した息子は一言も喋らずに、涙だけぽろぽろ流して聞いていたそうだ。
そんな顛末があったとは知らずに僕が起きてから、最後の一日はのどかに平和に過ぎていった。銭湯へ行き、紀ノ川の河辺を散策し、庭で花火をした。夜、荷造りが始まったとき、息子はソファーに寝転んだおばあちゃんに寄って行く。「また和歌山に来るからね」、「ばあちゃんも遊びに来てね」。頭の後ろに手を組みながら目を細めて、そのときお義母さんが何と言ったかは忘れてしまった。