先週の日曜日のことになるが、和歌山から妻のお母さんが来て、新横浜で開催されている「よこはま月例マラソン」の20kmレースに参加して完走した。僕は仕事で行けなかったのだけど、前日から妻と息子と三人で下見に出かけ4kmほど試走、当日も三人で会場へ行き、折り返し地点では息子も「ばーちゃーん!」と声援を送っていたそうだ。七十才手前でのハーフ完走も見事ながら、練習を始めたのがたった一年前で、しかも仕事も続け、持病と闘いながらというところが凄い。今年に入ってから一日2時間のジョギング、それができないときは2000回のクォーター・スクワット(膝を45°程度に曲げるスクワット)というメニューを積み重ねてきた結果、初挑戦にもかかわらずゴールインした後ほとんど息の乱れもないほどの身体を作り上げていた。本人曰く当日は緊張のため慎重過ぎるペースでの入りになってしまったようで、ゴール後にタイムを見た時の第一声は「悔しい!」だったそうだ。完走よりも持病の方を心配していた妻はこの発言に思わず苦笑い。この話を聞いた妹さんもきっと同じ心境だっただろう。ともかく、二人の娘はこの結果に安堵し、鼻を高くしたに違いない。毎日の練習の話に耳を傾けることに始まり、大会のリサーチからエントリー、当日の準備まで二人三脚でずっとサポートしてきたから。
翌日に同じくランナーだった僕の父親から電話があって、電話に出た妻に、お母さんへの惜しみない賛辞が告げられた。妻がその言葉を伝えつつ、これがどれだけ偉大なことかを懇懇と言い聞かせているうちに、わんぱくで鳴るお母さんの目にも涙が浮かんできたらしい。これは僕の勝手な憶測だが、この一年間マラソンの練習に注がれてきた彼女の努力の裏には、完走の他に、何か別の目的が秘められていたのではないだろうか。非常識とも思える練習量によって、彼女は20kmを走り抜く走力を獲得する以外に、より切実な、彼女の尊厳に深く根差した何事かを証明しようとしていたのではないだろうか。十代で父親を亡くしてから、学業を断念し、一家の切り盛りを全て背負ってきた人生。娘二人が生まれてからも、主婦としての仕事をこなしながら、財政面でもほぼ一手で家計を支え、病を患いつつ、二人を世にも素敵な女性に育て上げたこと。これらは彼女を良く知る人の脳裏にはしっかりと刻まれていることだけど、数字や目に見える形として残っているものではない。六十代になって二人の娘は手を離れ、人生で初めてといって良いくらい時間に多少余裕のある生活を味わった。その余った時間にも彼女の肉体は、休むことなくジョギングやスクワットに汗を流しながら、十代からの私の頑張りはこんなもんじゃなかったと、誰に向けるともない訴えを持ち続けてきたのだろう。妻の携帯には、スタート前にVサインでやんちゃに笑うお母さんの写真が残っている。この写真を見ると、この人はこうやって爽快に笑いながら荒波を超えてきたのだと思えて、勇気が与えられ、また少し救われたような気持ちにもなる。
お母さんの滞在中に妻は僕にこう言っていた。「あなたのおばあちゃんは何回も『私の親や祖父母たちは、私に年の取り方を教えてくれなかった』と話していた。ママが頑張っているから、私たちは年の取り方を学ばせてもらっている気がする」。時にわくぱくややんちゃが過ぎて、娘たちの手を焼かせる人ではあるけれど、こう思わせていること自体、立派な親の業績だと思う。