母ちゃんを待っている間、息子と一緒に線路までの道を歩いた。空は晴れていたけど秋の空のように高くはなく、この辺りの地形を薄く覆うようにして平坦に視界の端まで伸びている。
「だっこ」
「線路につくまで頑張って歩こうか」
「うん」
昼過ぎの町はとても静かで、ときおり低空飛行のヘリコプターが乾いた音を残して建物の陰に消えていくのみ。線路の方からもまだ音は聞こえてこない。立ち止まったり後ろを振り返ったりする息子に合わせて、ゆっくり町の様子を見て歩く。水たまり、黒いジープ、民家の敷地であくびをする犬、路地へ駆け込む猫。愛する人たちと向かい合ってお互いの気持ちや願望を投げ合うようなひと時は至福だけど、こうして同じものを見たり、同じ音を聞いたりすることで、ゆるい糸でお互いの心を繋ぎ合わせるような関係も僕は好きだ。こういうときは時間も僕らの足取りに合わせてゆっくり流れてくれているような気さえする。
線路沿いの道に着いて、約束通りだっこしてからもしばらく電車は来なかった。ひとしきりして真直ぐな線路沿いの彼方に白色のヘッドライトが見え、ゆっくりと手前の駅に入っていった。僕らの立っている場所から駅は遠く、まるで望遠レンズで見ているように、音は全く聞こえなかった。信号の表示が変わり、またじりじりと電車が動き出す。するとまず足元の線路が微かに硬い音を立てて震え、それから空気を伝って電車の警笛が聞こえてきた。
「でんしゃきたね」
「やっと来たね。電気が上に点いてるね。あ、3000系って書いてあるよ」
息子の顔を見ると、初めて見る型の電車の挙動に、まるで吸いこまれそうなほど集中した表情。そうする間に、電車は銀色の車体を大きく見せながらみるみる近づいてくる。突然息子が腕の中で素早く身体をよじった。何だと思って僕も傾いた方へ目を向ける。音が重なりあって分からなかったのだが、ちょうど逆方向からも電車が勢いよく近づいてきていた。轟音がひと際大きくなり、僕たちの立っている目の前で二つの電車が交錯した。何十もの窓が左右から僕らの前を通り過ぎ、ガラスと鉄の固まりに反射した光が様々な角度に飛び散っていった。その瞬間を息子がどのような顔をして見ていたかは分からなかった。僕も彼と同じものに心奪われていたから。軽い耳鳴りと夥しい光の残像が引いてから、辺りは再び静かになって、穏やかな初夏の光が戻ってきた。
「電車二つ来たね」
「うん。すごいおとだったね」
「凄い音だった…」
空は相変わらず低く、大地を覆う薄い膜のように感じられる。喉に当たる空気が涼しくて、今日は息を吸うのがとても心地良いと思いながらしばらく空を見上げていた。彼も同じものを見ていたのだろうか。「あおいくもだね」と息子が言った。