入院日が息子の誕生日の前日になってしまった。息子からのリクエストは、前倒しで土日に誕生日会をすること(プレゼントを貰うこと?)。友達の家もそうしているらしい。確かに親の入院日の前日ではせっかくのプレゼントも心置きなく楽しめないかもしれない。「オレだって心配してるんだい!」
昼食後にプレゼントを渡ししばらく遊んでから、妻と犬の散歩に出た。息子は留守番をすると言った。熊本では川が氾濫したというニュースがあり、さぞかし雨風が凄いのだろうなと外へ出てみたらそうでもなかった。玄関を出たときは少しも降っていなかった。妻が買い物をしているのを店外で待っている間に降り始め、三丁目の公園に向かう間にどんどん粒が大きくなった。公園の入り口でOちゃんとK父子が出てくるところと鉢合わせた。「ちょっと粘ってたんですけどねぇ、さすがにこの雨で野球は。S君は?」、「ゴソゴソと留守番してます、何をやっているやら」
彼らが去ったあと公園には、人気のなさだけが残った。すでに黒くなった砂地に雨の吸い込まれる音が聞こえ、自転車の車輪がつけた畝のような跡に沿ってジローが匂いを探っている。
「誕生日にプレゼントを貰って親と過ごしてももうそれほど楽しくはないって、あの子、気づいたのかもしれないね。だからああやってちょっとだけ大袈裟に私たちとゲームをしてはしゃいでくれたのかも」
妻がそう言ったとき、幼稚園の頃、スペースシャトルの模型をプレゼントしたときのことが脳裏をよぎった。あれは確か年中さん、5才の誕生日だった。その前の年辺りに物心がつき年に二回プレゼントが貰えることがはっきりと自覚できるようになっていた。クリスマスにはサンタさんから念願の貨物列車が届いた。それがとても良くて、こんなモノが貰えるクリスマスと誕生日は何てスゴイお祭りなのだろう、と初めて意識した。それで今度の誕生日にはどんなものが貰えるのだろうと期待が高まりすぎていたのかもしれない。僕がJAXAで買ってきたスペースシャトルは、組み立ててしまえば子どもの手にも収まるような大きさで、当たり前だが動きもしなかった。渡した僕の方が、これなら彼が妻とサランラップの芯で作ったスペースシャトルの方が余程大きくて迫力があると思い、息子の方をうかがうと、申し訳無さげに失望感を隠すような表情をしていた。
このことを思い出してほろ苦い思いをするたびに妻は「そうでなくてどうするの」と励ましてくれていた。サンタさんから完璧なプレゼントを貰って、親からも完璧なプレゼントを貰って、そんなんでどうするの、失望して外へ出ていかなきゃいけないのに。祝う気持ちが伝われば十分だし、それは伝わってるよ。そうでなきゃ、申し訳なさそうな顔はしない。
人が居なくなった公園を雨がヴェールのように覆っている。
「子供たちが居なくなった公園っていいよね」と僕は言った。
「うん、絵が浮かんでくるよね」