昨日妻が初めて息子に三輪車を与えた。三年前の夏、妻の妹さんが関西から車で運んできてくれたミニバン一杯分のお古に含まれていたもので、それ以来使われる時を待ってずっと納戸に眠っていたものだ。先日保育園で貸し出された三輪車にまたがり、乗り方や仕組みを熱心に研究して興味津津だった息子の様子を見て、今がその時と判断したらしい。赤い車体とハンドルに、青いシート、後部には黄色いキャリヤーが付いている。三原色が均等に使われたチャーミングな外観に反して、車体は鋼管製でタイヤも太く全体的にしっかりした造り。真っ白なホイールと、ハンドルエンドから垂れ下がる革製のリボンが、カスタマイズされたアメリカン・バイクのようなアクセントを与えている。これを見て、三年前、甥が最後までこれを手放すことを躊躇していたという話を思い出していた。荷物を運び出す際にも最後までミニバンに残っていた三輪車を、結局甥は自分で漕いで駐車場から家まで運んできた。それでもうこの三輪車に乗るには自分は体が大きくなりすぎたと、勇敢な納得をしてくれたのだった。息子はまだ跨っても足が完全には地面に届かない。ペダルを踏むコツも掴んでおらず、漕ごうとすると前後に行ったり来たりするので、両足で地面を蹴って前に進む。勿論息子にはこれが○兄ちゃんから貰ったものだと説明してある。彼もそれを理解しているが、おばあちゃんから甥がプレゼントされて以来、巡り巡って自分のものになったこの所有物に甚く満足している様子。乗る姿勢も背筋が伸びていてどこか誇らしげだ。
そして小雨だった今日は息子に初めて傘を与えた。傘を束ねるマジックテープを剥がして、傘を開き、また閉じてからテープを貼るまでの一連の儀式を真剣に注視していた息子のまなざし。両手でしっかりと握りしめているのに、傘を内側から見ながら歩くので、どんどん横倒しになって体の半分が濡れてしまっている彼の姿を、僕らは少し距離をとって後ろから眺めていた。夕方、妻が妹さんに電話して改めて三輪車のお礼を言った。ついでに今日初めて傘をさしたことを話すと、彼女も甥が初めて傘をさした日のことを良く覚えているといったそうだ。当の子どもたちがいずれ忘れてしまうことを、写真に残すわけでもなく、誰かに話すためでもなく、彼らが大人になった時にその日のことを伝えるためでもなく、ただ有りの儘、納戸の三輪車のように永遠に心に留め置かれている、親だけがもつ子どもの記憶。