花は梅と桜しか知らないから、外に出ると上ばかり見上げてしまう。週の頭から少し咲き始めて、今は葉の緑と薄いピンクが半々の中途半端な色合。開花と同時に空気の色まで染まってくるように感じられるから不思議だ。つられて体の他のものも目を醒ますようでここ二日もなぜか涙もろい。
昨日、二人の子どもを連れて遊びに来た妻の友達がなぜか今のタイミングでくれた五年前の結婚式のDVDに一才だった頃の息子と妻が映っていた。前のほうの席に座っていた息子の目の前で新郎か新婦の友人の一人が大声で応援団のようなパフォーマンスを始めて、それに凍りついているシーン。パフォーマンスをした人が「びっくりさせてゴメンね」と頭を撫でてくれたあとも、「エライところに来てもうた」、「母ちゃん、何が起こったんや」の顔で目を丸くして呆然自失なのだけど、それを見つめる妻の二人の同僚の顔がやさしくてやさしくて。面白いときに笑う、うれしいときに笑う、日本人のように場に乗り遅れていないことを示すために笑う、アメリカ人のように敵意がないことを表すために笑う。笑顔にはそれ以外の、人間の本性の美しさがほころばせる、僕の語彙では慈しみとしかいいようのない種類のものがあって、あの人たちの笑顔がそれだと思った。
あんなやさしさは自分が受けたことがなければ絶対に返せないのだから、彼らも子どものときに等量のやさしさを貰ったはずで、そのときの大人たちも子どもの時に、そのまた親たちも子どもの時に…。

電車に乗ってもそんなことばかり考えている自分は、都合の良い面ばかり見ているのだろうか。そう突きつけられる妻からのある知らせ。
忘れていいの-愛の幕切れ-
YouTubeから流れてきたこんな歌に脆くも崩れてしまうんだから、僕も妻も、僕らの親たちもみんな同じことを我慢してきた日本人なんだ。