正月から発起してRussellの"History of Western Philosophy"を読んでいる。行き帰りの電車や寝床の中でうたた寝を友にちびちび。そこから興味が派生して二月頃に一時中断、世界史の教科書を引っぱってきて二周した。延々つづくドンパチや地図の塗り替えを古代、中世、近代と追ってきて、ふと思った。歴史ってすごく短い。これだけ上塗りを繰り返してきたのに、スラヴ人は相変わらずスラヴ人の顔をしているし、ゲルマン人は今もゲルマン語を話している。数千年前に人間が文字を発明して記録を残し始めてからの遠征の歴史は、その何十倍に及ぶ先史時代に作られた顔を塗りつぶすにはまったく足りない。そう思ってから、去年などはしばらく嵌っていた現代史や戦後カルチャー史への興味が遠ざかって、それよりずっと前の、アフリカから各所に散って定住を始めたころの人間が近景に入ってきた。とは言っても彼らが直接のこしたものは遺跡しかないから、彼らが見たりふれたりして今も残っているものをこれまでより身近に感じる。星座はもとより、山や川や気候、どれだけ変わったのか分からないけど花木や鳥、それから大和言葉。それらが出来上がるまでの長い時間が、意識の中に過去の一点として縮められて、ベランダから夜空を眺めるときも関東平野の北限まで見渡すときにもそこはかとない斥力を感じて寂しくない。両親から誕生日にプレゼントされた双眼鏡がこれに役立っている。