今日は近所の小学校で運動会があった。幼稚園の先輩で今はその小学校に通っている男の子の母親が、未就学児が参加できるかけっこもあるよ、とメールで知らせてくれたらしい。息子と妻が先に出かけて、僕が後からカメラをもって駆けつけると、妻が目配せしながらしきりに自分の腕と腰を揉んでいた。自宅から小学校までの急坂が続く道を、なんとずっとおんぶでやって来たそうな。幼稚園では年少さんの手を引いて遠足に出かけたりお兄ちゃんぶってても、進学すれば尻の青いただの新参者だってことを、本人が一番あられもなく分かってしまっているのだろう。三年前、初めて幼稚園の見学に行った日に先生に撮ってもらった写真でも、母ちゃんの胸に顔をうずめてカメラに背を向けて写っていたっけ。
入場行進を待つ列で身をすくめていたら、息子のことを見つけた幼稚園の先輩が二人も「○君!」って声をかけて、にっこり笑ってくれた。それで緊張が解けたのか、うちらがゴールで待っているよと離れていっても文句も言わず、かけっこも完走。寝床での母ちゃんとのお話では、スタートで出遅れたことを悔しがりながらも、何かを果たしたような満足げな表情だったそうな。
来年子どもを送り出す親たちも、社交という名の営業に忙しそうだった。子どもには一々明かさなくても、親たちも舞台裏ではみんな頑張っている。いつだったか妻は、アクの強そうな子どものお母さんとまずコンタクトをとってみる、と言っていた。何かトラブルが起こったときに、状況の理解が早くなるからだそうだ。これを大人の駆け引きだとか、権謀術数だとかいうの見方は、ちょっとシニカルに過ぎると思う。社交と友好の間にはっきりとした線が引けるはずはないし、僕らが今手にしている友好のなかで、社交から始まらなかったものなんて一つもないのだから。
価値観もしきたりも異なる集団に飛び込んで交わるイニシエーションという儀礼は、幼稚園からはじまって、学校、会社、親たちの交際と際限がない。子どもたちは露ほども想像していないだろうが、親たちだってまだ道のりの途中にいて、新しい環境に遭遇するたびに「親」という肩書と自らを見比べて心許なく思っている。年長者から見たらまだまだ青二才だということだって内心では重々承知している。それでも、これまでなんとかやってきたように、これからもなんとかやっていくしかないし、(「なんとかやってきた」を「今生きている」、「なっとかやっていく」を「これからも生きていく」と言い換えてもいい)、それが「生きること」と同じことなのだとしたら、多分老人ホームや臨終の病院まで「なんとかやっていく」しかないのだろう。けれども、じゃあ一体どう「なんとかやってきた」のか問われても、そのような手順をはっきりと示せる人はきっとあまり多くない。
人間がその都度の環境の変化を乗り越えて生きていくために、何らかの知恵や経験が必要になることがあるとして、その中には、知識として明示的に伝えられるようなものはほとんどないのではないかと最近とみに感じる。ハイハイやかけっこ、歌の歌い方がそれを教える言葉がないように、またお笑い芸人や小説家になるためのマニュアルが未だに存在しないように、知恵の多くは身体感覚の深いところに根をもつ連続性の強いもので、言葉による割り切りにはそぐわないのではないか。人は誰しも個々の身体の中に蓄えられたこういう無形の知恵によって大きな活力を得ていると思うのだが、無形で自然であるがゆえにこれを見落として、読み書き算盤のように計測のしやすい力が自分を押し上げてきたと錯覚するところに、子育ての大きな落とし穴があるのではないか。
誰かが、子育てにとって一番大切なのは「子どもへの信頼」だと言っていたが(オレだったかも?)、本人の中に「なんとかやっていこう」という気持ちが芽生えるまで(「なんとかやっていこう」を「生きていこう」と言い換えてもいい)、親にできることは待つことでしかないし、なんだったら子どもの方がしびれを切らすまでだっこやおんぶをしているほうがいい。その方が、下してほしいとせがんで子どもが野に駆け出すとき、自然にだっこをせがんだことを忘れることができるから。子どもを信頼するということは、子どもの中に潜む自然の力に任せる、ということに近い。僕らの内で、だっこをせがんだことをほとんど覚えていない人がいるなら、その人はきっと必要なときに親がずっと抱っこをしてきてくれた人なのだと思う。