この一週間は、東京で開かれたチェスの大会に出場するために甥親子が泊まりに来たり、お別れも兼ねた幼稚園のサッカー大会が平塚であったりでそれなりにバタバタ。卒園で情緒的に高揚したムードが持続して、いつになく感傷的に過ぎた。まだ気温は思ったほど上がってこない。桜もソメイヨシノ以外のものが小ぶりに咲き始めているだけ。入学式には満開の花が舞っているかもしれない。
きれいな芝生の平塚競技場で行われた幼稚園サッカー大会は、開会式で本田圭佑の応援メッセージまで届いたりして何やら大がかり。ユニクロがスポンサーをしているようだ。親としては立派なスタジアムでの試合をタダで観戦できるから楽しいのだけど、息子は朝からボイコットが始まって車の中では「今日は見学する」の一点張りだった。幼稚園児のサッカーといっても、一試合こなすだけでアザやコブで一杯になる。数十メートル離れた観客の目に映るよりはかなり激しいものらしい。道路渋滞で十分ほど遅れて集合場所に着くと、紅一点参加のマドンナの笑顔。加えて遅刻を心配してくれてた男の子たちに囲まれると「オレ、やっぱやるわ」と言って駆け出すんだから、子どもの蘇生力はすごい。甥と遊んでいる姿を見ても感じたことだけど、人間は本当は人間が大好きで、互いのエネルギーを交換し合って生きているということがよく分かる。他は全てクラブチームという大会にすでに卒園した、それもサッカー未経験の子が半数の一回限りのチームをエントリーしてくれた先生も、こういう場がどれだけ子どもと、彼らを応援する親にとって糧になるかを経験的に知っているのだろう。試合は案の定、三試合とも完敗。それでもガッツと運動量、仲間への声援は負けてなかったと勝手に評価。みんな立派だった。挨拶は卒園式で済んでいるから、解散も淡々と。残った子どもたちと岩山で遊んでいたら日が暮れた。
そういえば開会式の最後にみんなで準備体操をしましょうということになって、大人が一人お立ち台の上に上って音楽が鳴り始めると、数百人いる園児がほぼ全員ノリノリで踊り始めたのには驚いた。確かに凄いノリの曲で「あの曲凄かったね」と言ったら、親たちはみんな知っていて『妖怪ウォッチ』の曲らしい。藤子不二雄まどみちおみたいな天才がいなくても、パロディー化と分業によって現にこれだけ動員力のあるアニメや主題歌を作ってしまうんだから資本主義の文化運営も大したものだ。この動画を撮れただけで行った甲斐があったと思えるくらいの壮観だった。
ついこのあいだ入学式が終わったと思った甥はこの春でもう六年生。小学校の六年間は幼稚園の三年間より早い、という恐ろしいことを言う妻の妹と、じゃあ息子が卒業する六年後もあっという間で、そうなったらうちらも五十手前か、というこれまた怖い話をする。四十代に入ったときはピンと来ていなかったこの年代を生きることの実相が、この一年こうして多くの知り合いと話す中で大分はっきりしてきた。マラソンをしたり山に登ったり一生懸命身体を鍛えたりすることで体力の衰えは隠されていても、懐メロ以外の音楽について語り合うことはなくなったし、こんな小説を読んだ、こんな映画を見たと誰かが興奮気味に報告してくることも皆無になった。自分の知らないところにとんでもない名作が眠っていて、それと出会えていない分人生の視界不良で損をするという意識自体が消えかかっている。友人との再会、宴会の席も、転職も含めた人生の進路相談の場ではなくなり、業界談義、社内政治、子どものこと、家庭の愚痴といった類いが多くなる。要するに、自分が現時点で置かれている境遇に骨をうずめること、新しい価値を模索して劇的な変革や脱却を夢想する時間があるなら現状維持するための体力の増強に充てるということに決意が固まったということだと思う。人と分け合えるもの(特に価値や苦悩の共有という形で)は意外に多くないという経験的諦観が背後に横たわっているのだとしても、もう引き返せないというこの覚悟自体はとても日本人的な強さの現れではあるだろう。僕たちはどんどんかつての親たちに、つまり三十年前の日本人に似てきている。
数週間前まで放送されていた『100分 de 名著』アドラー「人生の意味の心理学」は、毎度見ているこの番組の中でも出色のテーマではあったけど、新鮮味はなかった。「人生の悩みはすべて対人問題」であり、「対人問題はすべて自分が望んで招きよせたものだ」とか、「他人を変えることはできない、変えることができるのは自分だけだ」とか、十代、二十代にとっては受け入れがたいと思える逆説も(17才の時のアドラーへの拒絶感ははっきり思い出せる)、四十になると納得を越えて一部はほとんど自明の感覚として身についている(妻は何度も「そうそう、そうなんだよ」、「良くぞ言ってくれた」と膝を叩いていた)。僕らはアドラーの本を読んだことがなく、それを僕らに叩き込んだのは決してアドラーの教えではなかったのだから、結局二十代、三十代の経験を消化してここまで来るしかなかったということだ。僕が未だにアドラーに対して持っている両義的な思いはこの辺りに関係していて、「他人を変えることはできない」と主張するアドラーによって人が導かれうると期待することはやはりどう考えても矛盾を含んでいると思う。だからアドラーの使い道としてまず考えつくのは、自身の経験を振り返る際のチェックリストとしての役割ということになるだろう。アドラーに限らず、『ゲーテ格言集』でも仏典でも四書五経でも聖書でもそうで、賢くて正しく生きた頭の良い人が書いたものには似た側面があると思う。「私の言うことを信じるな」という断りを入れたところで、それは作者の自意識を満たしこそすれ、矛盾の解消には少しも寄与しない。
問題はアドラー心理学のチェックリストは辛うじてクリアしたとして、その備蓄量で四十代の十年間も乗り切れるのかどうかだ。僕個人としては、人間理解の面でも行動指針の面でもエネルギーの面でも、今後訪れる生老病死の諸問題への対応には少しずつ心許なさを感じている。今の場に留まろうとする流れには抗ってみたいと思う反面、好奇心に頼った技術輸入にも限界は見えている。今日から少し、意図的に舵を切ってみるつもり。