「まあ、シャイなパパが多いからねぇ」
レストランでちょっとしたお祝いの食事をしたあとも、何だかふわふわしていたら妻にそう言われた。
「式辞で園長先生も言ってたじゃん。お母さんもお父さんも子どもと一緒に入園してたって。だから今日うちらも卒園したってことだよ」
市の大会への出席、先生に贈るアルバム作り、プレゼントの手配、会報に載せる挨拶の作文、茶話会での出し物の準備と、式に向けた役員の仕事も大変だったのだろう。妻も卒園式が終わった途端に悪寒と鼻水に見舞われたらしく、体調は良くなさそうだ。
前日の夜に卒園アルバムを見せてもらって、そこに手書きで寄せられた先生方からのメッセージを読んだ。皆さん心のこもった優しい言葉を綴ってくれていたけど、その中で「物知り」とか「足が速い」とか「大好き」とかいう言葉を一切使わずに、息子に話しかけるような言葉を残してくれている先生がいて、それが年少のときに担任だった男の先生だった。それを読んでから何だかおかしくなった。
当日はその先生にだけはきっちり挨拶したいと思っていた。感謝の気持ちを伝えたあとに写真を渡した。入園式の朝に、怯える息子の前に膝をついて名札を渡している写真。その先生は何年も他の仕事をしたあと、ちょうど三年前に幼稚園の先生になっていきなり年少組の担任を持たされたのだった。「これ、先生の初仕事の…」と言って見せると、「わぁ、いい写真」と言ったあと、少し涙ぐんでいるようにも見えた。息子が目に涙をためているから「どうしたの?」と尋ねても「何でもない」、言いくるめようとしても「そうは思わない」、おまけに親以外には抱っこもさせない。思い通りには動いてくれない子どもたちを二十人も抱えて、毎夜どんな気持ちで眠りについていたのか。そんな子どもたちの三年間の成長を見届けられて、親子から分かりやすい感謝のメッセージも送られてと幸せな面もあるけど、卒園式の翌日に一人で入る空っぽの教室の喪失感、そして年度が明けるとまた泣きながら入園してくる何十人の子どもたち。正直大変な仕事だと思う。彼らの働きぶりを見るまで、そんなことはまったく思わなかった。
妻は茶話会の動画をたくさん撮ってくれていた。最後だって分かってるのに、大人みたいな「ありがとう」も、「またいつか」もない友だち同士の交流。花火の残り時間を気にするんじゃなくて、自分が花火になって燃えてるような。すがすがしくて映画で見たアメリカの高校のpromみたいだった。会が終わってからも砂場で川を作って遊んでいたら、子どもたちの声は少しずつ捌けて、静かになった園庭に仲の良い友だちと二人だけになった。後片付けが済んだホールで、職員だけの記念撮影が始まる。先生の一人が二人を見つけて名前を呼ぶ。お世話になった先生の膝の上にのぼってパチリ!