友ヶ島についての、昔から何度も聞いてきたエピソード。妻が小学生の休日、一家で遠足に出かけた。船に乗り、島に着いて、えっちらおっちら見晴らしのいい高台まで登ってきて、「さぁ、おやつだ」という段になると、みかんの缶詰を開ける缶切りがなかった。辺りを見回したお義母さんが、一瞬の間のおいて突如石器人となり石を缶詰に振り下ろし始めたという話。
けれどもこの日は曰くつきの島へ乗り込もうと僕の運転で一路、港までやってきたものの、まさかまさかのフェリー定休日でその舞台にさえ立てなかったのだから石器人を笑えない。
そんなわけで、この日は島を正面に臨む海岸で半日を過ごした。初めての無人島にわくわくしていた息子の様子が気になったけど、うろたえる大人たちをよそに砂浜に駆け下りるや、一心に遊び始めたので一安心。石を海へ放り込むことに飽きると、遠投、ついでトビウオ投げ、木片を船に見立てた爆撃。投げる石にさまざまな種類があることに気付き、初めは色や形を愛でていたが、土台になる平らな石を見つけてくると次から次へと石を砕きにかかる。割れた石は硬さも断面の模様もいろいろ。潮が次第に満ちてくると、今度は防波堤を作ることに使命が移る。大きな石を積み上げて隙間を小さな石で埋める。前衛を船の舳先のようにして、波の威力を左右に分散する。尖った長めの石を探して砂浜に深く立てて補強する。この頃には気を取り直した大人たちもみんな波の防御に夢中になっていた。日がな一日の暇を自然の懐ろにぶつけるような遊び方はうちらだって世代的にギリギリ知っている。カニウシガエルを漁った川辺の遊びを思い出したと妻は言っていた。オーバル状に並んだ僕らの遺跡を見ながら、草原に巨石を積み上げた先輩の退屈さえ心をよぎる。何のことはない、みんなの体に石器人の血が流れている。
すっかり日の傾いた浜辺の岸に、クラゲの死体が二体打ち上げられ波に洗われていた。
「石をぶつけようか」
「うーん、それはちょっと」
「なんで?」
「生きていたものだからね」
もうすでに何度も石を当てていた息子が、砂をふりかけ始めたのを見てそれが埋葬だと気づかなかった。帰宅後に彼が描いたクラゲの絵は、固い甲羅に覆われ。