退院の日。
迎えにきた妻の車は屋上に停まっていた。
国立がんセンターの駐車場。前にも少し触れた旧築地市場の向こう側に、隅田川をはさんで月島、晴海、豊洲有明と直線で切ったような人工島が平行に続き、その上に立つビルが視線上で一枚に圧縮されて分厚い屏風のように見える。
自分の手術が決まったあとTwitterで自分の病名や病院の名前で検索する中で、入院中の患者が上げていた写真に目がとまったことがある。病室から撮ったと思われる写真に、晴れの日の妙にだだっ広い築地市場の空地が写っていた。こういう場所に自分は向かうんだと考えると、先達がいることを心強くも思い、その患者と自分の運命を心細くも思った。
先月、一日がかりの検査を終え家に帰るときは、今後のことで頭の中が一杯で風景を味わう余裕は全く出なかった。
当たり前だがこの日、車に向かって歩きながら眺めた風景にはそれまで感じたことのない開放感があった。目線は眼下の見捨てられた築地市場ではなく、正面に群立つビルの上空のほうへ自然にいざなわれ、東京の空はこんなにも広いのかと思った。右手の空と海を分ける辺りにレインボーブリッジがあり、その美しい螺旋を下りていけば温かい我が家に帰れるのだと思うと心が浮き立って仕方がなかった。車内で聴いたFM放送や、助手席で飲んだアイスコーヒー、自分たちを神奈川の自宅まで運んでくれる高速道路、そういう下界の全てに対して賛歌を歌いたいような気分になっていた。
この後、僕はその温かい我が家で思わぬ後遺症に苦労し、また不安な気持ちでこの病院に戻って来ることになる。
調子に乗ってはいけない。最短の日程で退院できる自分が特別だと思ってはいけない。全ては然るべき人たちが働き、然るべき人たちが応援してくれた結果である。
患者は人それぞれ、その時々の結果を携えてこの駐車場から帰っていく。病院から望む風景に特段の意味などないが、風景はいつもその時々の気持ちに色を合わせてくれている。