妻が昼前に来てくれた。待合室のテーブルを挟んでたくさん話をした。緊張は当然あるが大丈夫、ユーモアも自然と出てくる。妻の目元はずっと笑っている。こういうとき、見送る側は患者の発言をすべて温かく受け止めるものなのかもしれないが、それを差し引いても僕の話の調子は悪くない。いよいよ手術時間となり、無機質な職員専用の通路に通されたときも「高島屋のエレベーターみたいじゃない?」と、まだ何かに譬えようとしていた。笑顔の妻と別れて9階の手術フロアに入る。縦にも横にも広い平面に15の手術台が並んでいて、ターミナル駅のタクシー乗り場のようだと思う。人も設備もフル回転でやってくれているから、来院から一ヶ月で手術を受けることができるのだ。
意識がなくなったのは、背中にワイヤーが入ってきた後だった。そして気づくと、未来から何か呼びかけられるような朦朧とした感覚があり、成功したのだろうかと自問自答しながら濃い気体の充満するトンネルを漂う幻覚のあと、看護師さんの声で「○○さん、終わりましたよ」と聞こえた。身体が火照っていて手術室はこんなに暑かっただろうかと思うと同時に右肩に恐ろしい痛みが来た。ストレッチャーで病室に運ばれると、壁際にベージュのスカートと黄色いニットの半袖シャツを来た妻が待っていた。何を話したかは覚えていない。なるべくお道化ながら痛みを表現し、この状況の中に面白さを探らなければと思っていた。
19時、面会終了の放送が流れる。
「『帰れ』やって」
そう言いながら笑い、それでも結局10分くらいは粘ってくれたかな。
妻と一緒に看護師さんも部屋を出ていく。全身麻酔で身体にメスを入れたことはこれまで何度かあるから分かっている。ここから一晩、孤独な痛みとの戦いが始まる。
ひとまず痛みに慣れなければと、痛みをしばらく我慢して、期待しながら時計を見ると5分しか経っていない。5分?これをあと何回繰り返せば朝になるのだろう。
何とか右肩の痛みの軽減する姿勢を探り出し、20時30分まで眠ることができた。はぁ。21時00分。再び眠って22時30分。まだ日は越さない。足にはエコノミー症候群防止用の機械、尿道にはこわばった半透明の管、左腕と右腕の点滴、指先の酸素測定器、胸郭ドレイン、酸素マスク、おでこにはアイスノン。どこに集中すれば分からないが、そのどれもが不快な装置が7,8個付いている。一つの違和感を和らげようとして体勢を変えると、他の管に力がかかり新たな痛みが生じる。時折体勢を間違えて激痛が走る。すると意識を通さずに直接声帯が震えて悲鳴が漏れる。
深夜になってからも看護師さんが定期的に様子を見に来てくれた。傷の具合を確認し、管の状態やモニターの数値を確認し、僕自身の口から加減を聞いて部屋を出るとき、彼女たちはまた1時間後に来ますね、と言い残していく。この言葉が次の1時間を耐える勇気を与えてくれる。その1時間後も、傷の具合を確認し、管の状態やモニターの数値を確認し、僕自身の口から加減を聞くだけなのだが。
夜半過ぎに来てくれた看護師さんに「○○さん、かなり斜めに寝ていますよ」と言われた。少し前に身体を左側に折った方が楽なことに気づき、さらに楽な姿勢を求めて数ミリずつ芋虫みたいに移動していると、気づけばプロレスでロープに片足が引っ掛かりリング下に転落しかけた選手のような体勢になっていて、自分でも可笑しいのだが看護師さんも少し笑っていた。
「お手伝いしますから姿勢変えますか」
「大丈夫です、体勢で遊びながら暇をつぶしてますから」
そうやって奇跡的に神経を擦らない体勢が見つかると、そこからまた30分から1時間の睡眠が得られるのだ。
午前3時。そろそろ空が白んでくる頃かもしれない。夜明けが見えてきた。6時まで頑張ろうと自分を叱咤する。あと3時間。どうやって過ごす?
スカイツリーの脇から太陽が登った。時計は5時を回っている。そして遂に6時!!

何も起こりゃしない。そりゃそうだ、自分で勝手に6時にゴールを決めていただけだから。気が抜けると同時に、今までで一番の痛みが右の背中に突き刺さった。これまでと違って右に動いても左に動いても痛みは増すばかり。ナースコールで来てくれた看護師さんに「ライフルで撃たれたような」と訴えて、彼女が僕の体勢を直そうとすると背中の管が捻じれてその痛みが倍になった。
「むりむり、マジで!」
自分の声が部屋の外の廊下にまで響いているのが分かった。ここが阿鼻叫喚のピークだった。
少し落ち着いてから看護婦さんが今日の予定を話してくれた。8時過ぎから徐々に上体を起こしていきます、とのこと。あと2時間はこのままってこと?
結局この看護師さんに9時頃上体を起こしてもらって24時間ぶりに水を含み、歯を磨かせてもらった。水は口を濡らすだけでまだ飲んではいけないのだが、出口が見えた安堵もありこの一口の水は五感に染みわたった。一晩にわたり駄々っ子のような訴えにつきあっていただいた看護師さんの当番が終わり、そこから新人とベテランの2人の看護師さんに引き継がれる。
午前中にお医者さんの往診があり、傷等諸々の様子からゴーサインが出て、次々と管が外されていった。それでも、一つの管を外すごとに2人は綿密に話し合って、細心の注意で事を進めていく。医師の世界では科が分かれているが看護師の世界は総合的で、さまざまな現場を経験する中で看護資格の勉強では得られない知識を習得していくのだそうだ。
点滴の管だけになったとき、看護師さんに手を引かれ20mほど病院の廊下を歩いた。自分でも驚くほど遅いペースでしか歩けず、手術前この病院で何度も見てきた点滴を引きずって歩く患者たちの姿が重なった。
「そう、皆さんそれぞれに頑張って歩いてる結果なんですよ」
昼頃妻が見舞いに来てくれた。その頃にはすっかりテンションが上がって、昨夜の苦闘の武勇伝を調子よくしゃべった。
ライフルで撃たれた痛さ、と言ったら
「ライフルで打たれたことないやろ」
だって。
妻の笑顔も昨日とは違っている。