天丼てんや築地店。
カウンター席で天丼の大盛りを頼んだ。病院の門を出たあとは、脇目もふらずに食べ物屋を探した。ひどくお腹が減っていたけど、この日は病院の食堂で食べたいと思わなかった。通りに出てから逃げるように歩を進め、がんセンターから離れるにつれて軽快になる自分の足取りに気づいて、あぁやっぱり緊張していたんだと思った。
病院の中で疎外感を感じていたわけではなかった。予約時間ギリギリに病院に駆け込んでからはバタバタといくつかの受付に回された。汗を拭いながら何枚もの書類に記入していると、この病院に集っている患者たちの姿が目の端に入ってくる。フロアは老若男女さまざまな人で混みあっていたが、やはり弱々しい足取りの人、帽子をかぶった人が多かった。えらい所に来てしまったとも思った。けれども周りを見渡す余裕が出てくると、彼らも僕と同じように待合室のテレビを眺め、有隣堂のカバーをかけた本を読み、スマホで誰かにメッセージを送っていた。四時間近い待ち時間の間に、この無言の人々の静かな呼吸と自分のそれとが徐々にあってくるような不思議な感覚があった。少し前までは「あっちの世界」だと思っていた場所でもこれから少しずつ慣れていくことができるかもしれない。
肝心の診察では、手術を受けることが決定的になった。持参したCTやレントゲンの資料を診た先生が、医学的な見地から経過観察を勧めてくれるのではないかという甘い期待は吹き飛んでしまった。駆け足の説明の中で、身体の組織に関するいくつかの用語、今後必要になる検査、手術・入院の手続き等の言葉が飛び交った。これらの事柄をもう一度整理しなくてはならない。そしてこれらの事柄を知ることになった当事者として、何人かの人にメールを書かなくてはならない。昨日夜まで話につきあってくれた妻。紹介状をもたせてくれた妹。息子にどんな言葉で伝えるかも考えなくてはならない。親に報告するタイミング、etc、 etc。
けれどもとにかく腹が減っていて、そういうことを一度には考えられなかった。カウンター越しの店員同士の会話や、隣に座った男性客の注文内容が耳に入って来る。店内には、この世界に与えられた自由そのもののような存在が手に触れられる空気の塊として漂っていた。自分もその一員として見られているこの世界に、もうしばらく留まっていたいと思った。