「オレもう疲れた」と言い残し、襖をピシャリとしめて和室に引きこもってしまった。
正直それは違うだろうと思った。飼い始めてまだ二日目なのに、
今日は約束していたワンちゃんとの遊び時間も、ボールを一度二度部屋の隅に放っただけ、まだ一分もたっていない。生き物を飼うことの覚悟について、家族であれほど話し合ったではないか。
確かに飼い始めは順風満帆とはとても言えない。今朝は朝の四時からケージの中でバタバタしていたから我ら全員寝不足である。オシッコとウンチの場所も定まらず、我らがケージを離れるとけたたましい鳴き声でワンワン!ジャレついてくるのは嬉しいが歯を立てるので手に生傷、服には穴。しつけの方針でも僕と対立した。望ましい行いがなされないときにケージに入れたりする息子の制裁的な態度が僕は嫌だった。どこで覚えたのか知らないがそんなことは君が赤ちゃんのときは一度もしたことがないと思った。でも本に書いてあったと息子は言う。そう言われると大して読んでいない僕には返す言葉がない。
それがどういう話だったのかは忘れたが、風呂場で黙々とトイレを洗っていた妻から彼女の考えを聞いた後、胸のわだかまりが消えた。いつものことだけれど、目の前の争いに裁断を下さず、考えを聞かれたときだけ話してくれる彼女の言葉のあとに、心のキャンバスが魔法のようにひらけた。本を熱心に読んでいたのも彼の方だったが、説明書とにらめっこしながらケージを組み立てたのも彼だった。ペットショップの店員の説明に注意深く耳を傾け、家族で決めた分担表を熱心に眺めていた。制裁をくわえず相手を信頼する方針とはいっても、それまで三十年以上生きていた僕らと、小学生の彼とでは条件が違いすぎるだろう。飽きたとか約束を忘れたとかではなく、ジローの挙動が思い通りにならないことに大人が想像する以上に気が疲れてしまっているのだという、今の彼の心の肖像。そういうものを自然に描くための輪郭線を彼女からもらうことができた。定規で引かれた約束だの方針だのの線が消えていった。
仲直りするために襖をあけて和室に入ると、息子は畳に寝そべって新たな豪華客船の絵を描いている。舷に書かれた船名に ZIRO1 とある。