夜の一時。二ヶ月近く取っ組みあってきたプラットフォームがようやく完成してひとしきりの達成感。今夜はダラダラと夜更かししてしまおう。
手の腱鞘炎を気にしながらトラックボールを左右に持ち替え、休日も含めれば法定労働時間の倍近くの時間を、計算の一貫性、データの整合性の検証に注ぐ生活がどうなのかといえば、やっぱり健全というしかないのだと思う。体と意識が一つの事に繋ぎとめられる分、自分にとっては持病と言ってもいいくらい長い付き合いの、浮遊・落下の感覚から自由でいられるし、世間に対する「借り」の意識も薄まってくる。というより、疲労がたまってきたときに湧いてくるのは、この頃感じることが少なくなっきた、世間から取り立てられるだけ取り立ててやろうという「貸し」の意識のほうだ。工学的な理想よりも、vengenceや攻撃性によって動機付けられていると感じるとき、自分の中の動物性を自覚する。昔読んだ柄谷行人の本の中に、「借り(owe)」の意識が「罪悪感」の根底にある、という話が出てきたが、それを敷衍すると「(社会への)恨み」を潜在的にあおっているのは無意識下の「貸し」の感覚ということになるのだろうか。そうだとしても、僕の趣向においては、他の意味を含んで膨れ上がった高次の概念よりも、「貸し借り」という二項関係での理解の仕方のほうがしっくりくるところがある。「借り」とは相手から何かを受け取ったことでもあるし、「貸し」とは相手に何かを与えたことでもあるから、直接に「罪悪感」や「恨み」を導かない。むしろ「罪悪感」と「恨み」とは、自分が受けた恩恵と、相手に与えた恩恵の価値を忘れたときに、それぞれ頭をもたげるものなのかもしれない。
何にせよ、体は疲労困憊しつつも、一日中そのことについて考えることができ、その考えていること自体が苦にならない仕事をもてているのは、職業との出会いという意味で幸せなことなのだと思う。こういう特性を「才能」と呼ぶなら、自分の才能ははっきりと今の仕事の方向を向いているのだ、ということは最近とみに感じている。逆に言うと、generalな能力というものは、方向が定まらないうちは決して才能とは呼べず、人をどこかに導いてくれることもない、ということだから、世の能力信仰が謳う諸力(論理的思考力、コミュニケーション力 etc.)には、選択の幅を必要以上に広げて、進路の決定を困難にするという危険も伴う。このことの含意にも深いものがありそうなので、人の親としてもちゃんと頭の片隅においておきたい。
仕事以外にも、先週、先々週といくつかと心に残ることがあった。息子と一緒に双眼鏡を買いに行ったこと、帰っていの一番に見た隣町の鉄塔、箱根山にかかる雲の海、金星の満ち欠け、夕刻の富士の山道に灯る篝火。金曜日には、息子のお泊り保育があった。彼が生まれて妻と二人だけで夜を過ごすのは初めてだったが、それより何より、外泊したり、里帰りの留守番をしたりしたことのあった僕とは違って、妻にとっては本当にこれが母になってからの息子の居ない最初の夜だということを改めて思うと、胸が一杯になった。カレーを作るという息子に負けじと、僕が作ったミートソースのスパゲッティを食べ、一緒に風呂に入り、夜の町をわざと遠回りをしながら歩いている間も、結局ずっと息子のことを話していた気がする。「キャンプファイヤー始まった頃だね」、「『燃えろよ燃えろ』歌ってるかな」、「みかんの缶詰どうしてるかな」。翌朝、迎えに行き、彼の口から出た「楽しかったわ、もっと居たかったわ」の言葉。
会社時代の友人に子どもが生まれるらしい。酔って帰ったその日は、生まれたばかりの息子に会いに来て、僕に対してかけてくれた六年前の彼の言葉を思い出していた。彼と僕とでは、性格も、不安に思うことの内容も全く違っているけれど、自分が抱え込んでしまっていること、自分が苦しんできたことの始末に人一倍責任を感じているところはおそらく一緒だから、その余波が自分の子どもに被ってしまうことに臆病になっている彼の気持ちは痛いほど分かる気がする。未だに葛藤の最中にいる自分だけれど、それでも、親の小心などどこ吹く風で育っていった息子その人に、勇気をもらい続けた信じられないような六年間だった。この感動は、彼の子どもしか彼に与えることはできない。