早朝四時に起きて旅の準備をした。和歌山への帰省だが、途中で甲子園に寄ることになっている。決めたのは前々日。何事も億劫に感じてしまう性格のせいで前もって計画するのが苦手だ。先々の計画に対して不安を感じる期間をなるべく短くするという心理が働くらしい。当然前売りのチケットは完売。でも調べると外野席はタダで入れるという。有名校が出場する日曜日、というのが不安だが空席に期待して出陣するしかない。
娘と孫の母校の応援でもあるからとお義母さんも誘い、最初は喜んでくれていたのだが(なんせ昔のウグイス嬢)、結局三人で行くことになった。翌日に学童保育の仕事が控え、体力的に心配だとのこと。妻は「それもあるんやろうけど、うちらをちゃんと迎えたいんちゃうかな」と言う。
新幹線で息子は今日のために読まずに我慢していたマンガを読んでいる。僕はアンドレ・ヴェイユ自伝を手に取るとすぐに眠気が来る。彼の云うバガヴァッド・ギーターの信じられない美しさとはどんなものだろうという空想の中で目覚めるともう京都。
梅田駅では甲子園行きの電車の案内が流れていた。満員の車両で、客同士の大声の会話をうるさく感じないのは自分が旅行者だからだろうか。子連れのおじさんとおばさんがどうやら前日に登場した膳所高校の話題の中で「負けてもうたがな」「でもカシコイでェ〜」などと丁々発止。東京の香りが残っていたのは、新大阪の左寄りのエスカレーターまでで、ここはもう異国だ。
甲子園に着いたのは十時半。球場ではまだ第一試合が続いていて、球場の外にも歓声が届いてくる。外野席の方に向かって三塁側アルプスの後ろを通過するときに一際大きな声が上がった。中央学院が逆転したらしい。球場のお椀で一旦集約されてからコンクリートの壁を越えて漏れてくる音には、応援の対象の違いや時差を孕んだ不思議な臨場感がある。レフトの外野席にたどり着くと、ライト側にはまだ空席があると教えられる。移動して何とか母子用の二席と自分用の一席を確保できた。劇的な逆転サヨナラ3ランが出たのはその直後だった。
中央学院のアルプス応援にも感激したが、智弁の応援はそれ以上だと思った。三塁側アルプスにCの人文字が作られ、一回の最初の応援が始まったときに、あまりの迫力にライト側でもざわめきが起こった。応援人員の多さ、規律正しいかけ声、その声量、ブラスバンドの華やかさ。喩えは悪いが独裁国の閲兵式やマスゲームのようでもある。一方の富山商業は1/4程度の応援団でまけじと声を張っている。二十年前の妻がチアガールとしてその中にいて、今もCの文字のどこかに甥がいるとは分かっていても、富山の方に肩入れしてしまっている自分がいて、よしっとか、あ〜とかいう度に息子に肘で小突かれた。
なんだかんだ言いながら、本来の猛打は出なくとも試合自体は危なげなく、智弁の貫録勝ちに見えた。試合が終わると、これで和歌山の実家でもみんなで集まって次の試合を楽しめるかもしれないなどと思っている。まったく都合のいいもんだ。
試合中に僕の隣のおじいさんがビールをこぼしてしまったという話をして、スプ濡れになった靴を息子に見せたら「二人ともかわいそう」だって。
夕刻。久しぶりの和歌山の実家。妻が言っていた通り、きれいに整頓された六畳間の心づくし。