結局この夏休みは高校野球に明けて暮れた。きっかけは、ちょっと泳ぎにでもいこうかと目指した市営プールのある公園に野球場があって、そこで入場料大人500円、子ども無料で観戦することになった地区予選の試合だった。はじめて生で目にする球児たちのプレーは新鮮だったが、深くハマった大きな要因は夏の大会に特有の各校応援団の応援だったと思う。球場へ向かう静かな公園の芝生の上を歩いているとき、まだ遠くに見える目的地の辺りからかすかに太鼓の音が聞こえてきた。歩を進めるとそこに若い男の声が混じって少しずつ大きくなり、通路の暗い階段からスタジアムの中へ入ったとき、一気に音量が上がって全身を包みこむ喧騒になった。ブラスバンドや拍手、団扇やメガホンを叩く音、試合の進展につれて盛り上がる歓声とチアリーダーの声援。
その日からTVKのテレビ放送とインターネットで地区予選の経過をチェックしたり、甲子園の組み合わせ抽選会に心躍らせたりして暑い毎日をやり過ごしていた。旅行中は新幹線の中でも車の中でも試合経過に目を凝らし、勝ち上がりを追って決勝戦まで満喫することになったのだけど、一体高校野球の何が心を鷲掴みにしてきたのかと言えば、やっぱり球場の暗い通路から観客席に入ったときに包まれたあの不思議な喧騒だったと思う。
日本人の多くはそれぞれ高校野球に関する思い出を持っていて、話を聞くと二十年前のことでも五十年前のことでも妙に生々しく思い出してくれるものだけど、それが試合の結果やプレーに関するものであることは案外多くない。純粋に野球が好きな人間はそれほどいるものではないし、高校球児だった人間なんてなおさら希少だから、思い出の種類は応援や、周辺の人の反応にまつわることが多くなる。面白いのはその思い出が、あたかも自身が甲子園球児であったかのように主観的なものになっていること、若かった頃の時代に偏っていることだ。チアガールとしてアルプススタンドの最上段に立った思い出、球場のうぐいす嬢として選手紹介をやったこと、父と一緒に甲子園で食べた「かちわり氷」のことなど。
球児以外の人間も含めたほとんどの日本人にとって、高校野球通過儀礼を伴う祭りであり、球場で展開するプレーはそこで打ち上がる花火のようなものなのではないかと思う。子どもたちは自分が高校生になることの想像を抜きにしては試合を眺めることはできないし、大人たちはどこかで自分が若かった頃のことを反芻しながら試合を見ているのだろう。
誰にとっても岐路であり、誰にとっても苦渋の季節であったこの年代のことを思い出すときの痛み。
毎年この時期に売り出される雑誌は、なぜ性懲りもなく江川や桑田・清原、松坂の特集を繰り返すのか。あれは、ヒーローの「栄光と挫折」を思い出すように誘いながらその実、高校生だった自分を思い出すように誘っているのだ。それを読む読者が彼らの物語に少しずつ飽きながら、毎年少しずつあの頃の自分を埋葬していけるように。