夏休み序盤の夜。部屋に入ってきた妻が言った。「『オレ、スタンプラリーはもういいわ』だって」
しばし、沈黙。そのあと「そりゃそうだよね」と二人同時に出た。
そりゃそうだ。長い夏休みの過ごし方は改めて考え直さないといけないけど、それをふまえてもその方がありがたいくらいだ。もう各駅停車に揺られて方々まわらなくていいんだから。真夏の日中のホームに突っ立ったり、涼しい電車が来たと思ったら汗が乾く間もなく一駅で降りたり、そういう不毛に身を投じる必要はないんだから。ホームに降りたら階段をよちよち上ってスタンプの置き場所を探さなくてはならない。同志がいれば譲ったり譲られたりして、順番が来たら背が届かないから抱え上げてスタンプを押す。その後ゆっくり水筒の水を飲んでからトイレに行ってもまだ次の電車が来るまでは優に10分は時間が余っている。一つ一つは大したことがなくても、そういうことが何十回も続くのは電車やスタンプそのものへの興味が薄い大人には正直キツいものがあった。何日もかかるあの作業をもう繰り返さなくていいんだから、ホッとしたというのが正直なところだ。
大人にとってもしんどい作業だったけど、今考えれば子どもにとってもなかなかの大仕事だったと思う。すべてのスペースが埋められたスタンプブックは壮観で大人でも見返してしまうものがあった。景品をもらうためにターミナル駅の改札裏でチェックを受けているときは、「どうです?僕たちちゃんと全駅制覇したでしょう」と親子ともに誇らしくすらあった。
それでもそういうこともすべて含めて、「もういいわ」なんだろう。Minecraftのアイテムが云々と言っている年代に今更手押しのスタンプがどう、ということもない。大人も、一駅ずつ制覇していく子どもの後ろ姿はもう十分目に焼き付かせてもらった。
そういう時間はもう過ぎ去ったんだという観念が、鉄道会社とか夏のホームの蒸し暑さとか抱え上げたときに両手にかかった体重とか、そういうものへの感謝と一緒に一瞬だけ駆け巡った沈黙だった。