前夜の酒の席で友人から勧められた場所へやってきた。
伊勢神宮
空気が澄んでいる。寒いとか冷たいとか、そういう判断を下す前にそれは体の中に入っている。足元で砂利の音が冷ややかに響く。足を止めると風のそよぎもやむ。すると人の気配が強くなる。高く杉を見上げた目線の下を、八十余歳のお婆さんの手を引いた娘が通っていく。次いでヒョウ柄の女の肩を抱いた傾奇者。女の残した生暖かい香水の匂いが、空気を薄く染めながら杉の葉の間に消えていく。
神社というものをこれまで真剣に考えたことはなかったけれど、ここにあるのは日本の自然そのものというよりも、人々が愛おしんできた自然の中の半身、自然の謂わば善意なのだという気がする。木も水も建物も、適度に緩み、適度に淀み、全体として無理な力に押されずに伸びている。そこに立っている大木と、そこに立っている中年が同じ仲間のような気がしてくる。親孝行も色恋事も分別しないような鷹揚な魂が、木や石や川のほとり、自然の至る所に宿っているとするなら、それは神さまそのものじゃないか。
お宮の前で、生まれて間もない赤ちゃんを抱きながら誰かを待っている男がいた。僕より少し若く、今の僕より少し眼光が鋭い。ああ、けれども。赤子に伝わることを計算に入れて、バスケットシューズが踏む、敷石の上の歩みのやさしいこと!