会場だった中高時代の母校の様子は随分変わっていた。校門の手前にあった野球場が削られて、そこに新しく建てられた礼拝堂と校舎がせり出し、野球場とサッカー場は奥のスペースにまとまっている。レンガ造りの礼拝堂も校舎も前より圧倒的に綺麗になって、英国の大学風のcourtyardまであった。僕の後ろに並んでいた女子高生の親子は、「やっぱり私立は違うね、ここもどうせキリストでしょ?」と感嘆することしきり。大して強くもないサッカー部のグラウンドは青々とした芝生、野球場にはブルペンまであるんだから笑ってしまう。今でこそ校舎がどうの施設がどうのと、つまらない感想を持てるようになったが、在学中に学校を箱物以上としての何かとして見たことはなかったから、これも少子化時代のマーケティング、要は授業料を出す親に気持ち良くなって貰おうというご機嫌取りなのだろう。それともいかにもテストステロンの薄そうな今の生徒たちは、女学生みたいに名門風の雰囲気に浸っているのかな。そういうアイデンティティを持ってしまった学生にとっては、大学に入ってからのひもじい下宿生活は、自由の謳歌というよりは下積みということになるのだろうし、職業の選択においても、一刻も早く資格や内定をとって親と同等の生活の質を確保したいという動機に動かされてしまうかもしれない。最近親に僅かながらに感謝しているのは、自分を大学院まで行かせつつ、かつ適度に貧乏でいてくれたことで、そのことによって自分がどれだけ自由な職業選択の幅をもつことができたかということだった。子どもが車が欲しいと言ってきても、父ちゃんの家も車はなかったと言えば、子どもはそれを所与の自然として納得してくれるものだ。
試験が終わり、27年前に親と入学式の記念撮影をした桜の木の下に立っていると、手をつないだ二人の影が坂を上ってきた。「父ちゃん以外の人はぜんぶ撃つからね」と、試験をプロレスのバトルロイヤルか何かと勘違いしているらしい息子が、妻にせがんで駆けつけてくれたのだった。出会いがしらの一言は「父ちゃん、勝った?」。結果から言うと、昨日上げたサイトの内容は、英検1級の語彙対策としては多少オーバースペックだった。長文も含めて、SVL12000に収まっていない単語は、invertebrate, taxonomic, transpireくらい。じゃあ語彙問題は完璧だったかと言えば、熟語で結構落とし、リスニングも聞き切れず適当に回答してしまったところがいくつかあって完璧とはいかなかった。過去問を見た感じから満点近く狙えるかもと欲を出していたが、これが現時点の実力なのだから仕方ない。
校門の前で飲むヨーグルトを投入してから、さらに坂を上って根岸森林公園まで行った。ポニーセンターで大人しいマイネルキッツに挨拶し、広い公園では柔らかい芝生の上を走り回った。ボールを追いかける家族や若者、雁行しながら森を渡る鳥の群れ、それを紅色に染める夕暮れ。バスの中で妻が「こんなときが来るなんてね」と口にしたのは、高校時代の思い出の場所に息子を連れてきたことを言っていたのではなかったと思う。校舎のことなんか何も見えず、結婚も子どもも諦めてやぶれかぶれだった頃の自分を抱きとめてくれたのだと思う。