もう放送は終わってしまったけど、『白熱教室』の時間帯にやっていた『ニッポン戦後サブカルチャー史』が実に面白かった。と言っても全ての回を見れたわけではなくて、僕が見始めたのは70年代を扱った第4回から。サブカルチャーと聞くとどうしてもアニメ、アイドル、コスプレ、コミケ的なものを連想してしまい、ああいうのは色気がないなァと食い気がそそられず見送っていたのだが、扱われていたのは、要するに戦後の大衆文化全般だった。サブカルチャーというのは、字義通りハイカルチャー(ファインアート)に対する下位文化という意味で、ハイカルチャーの代表選手、例えば川端康成とか武満徹とかが、多くの日本人にとってガラスケースの中の存在だったとすると、戦後文化の変遷を知るためにことさらサブカルチャーだけを取り上げても、当面は十分カバーされたことになる。
ただ「サブカルチャー」と「大衆文化」という二つの言葉から受けるニュアンスが、未だに多少異なっているのも事実だ。従来の都市文明論とか消費社会論といった枠組みから少し離れた文脈で、若者や子どもに受け入れられている作品が広く論じられるようになってきたのは、90年代半ば過ぎだったと思う。覚えているのは、代々木の本屋の哲学・思想コーナーに、エヴァンゲリオンに関する批評書が何十冊もうず高く積まれていた97年春の光景で、それは80年代、柄谷行人蓮實重彦が、近代批判の名のもとにマルクスフローベールを論じながら本棚の高座から睨みを利かせていた様子とはえらく違っていた。あそこに並んでいたエヴァンゲリオン本の中に、未だに入手可能なものがどれだけあるのかは分からないけど、膨大だったであろう論点が、淘汰と検証を経て、ようやくNHKの教育番組で紹介しうる知識としてまとめられたと考えると時の経過を感じてしまう。新しいものが引き起こした興奮の熱が冷めて、歴史の中に位置づけられるには相応の時間が必要なのかもしれない。
個人的なハイライトは、第7回の『「おいしい生活」って何? 広告文化と原宿・渋谷物語 80年代』。バブル期の諸相を描く切り口として「広告」を選んだのは秀逸な視点だった。トレンディードラマや、それとタイアップしたニューミュージックといった素材も、今思えば華やかな消費生活のモデルとして、享楽とちょっとしたアンニュイを謳い上げるためのBGMに過ぎなかったから。財テクによって余ったお金を消費に呼び込むために、大衆の意識への先鞭をつけたのは広告だった。レジャーやリゾート、おしゃれなライフスタイルに誘う甘くcozyな言葉が次々と考案され、自由を持て余した群集に方向を示す道標になる。足元の不確かな人々の手を引くためのスローガンは、単純なもので十分だった。
おいしい生活」、「くうねるあそぶ」、「不思議、大好き」、「ほしいものが、ほしいわ」、「昨日は、何時間生きていましたか?」、「自分新発見」
中には、大衆から孤絶していたはずの文学、思想まで、キャッチコピー的消費の中に飲み込もうとする文句さえあった。
ランボオ、あんな男、ちょっといない。」
思春期の前半をこの上昇気流に揉まれて過ごした僕の同年代は、見事に編集されたこの特集を見て何を思うのだろう。「そんなこともあったね」とただ懐かしさの中で振り返るのだろうか。それとも「あの頃は良かった」と、二度と戻ってこない時代に思いを馳せて今の不況を憂うのか。確かに、過去を「懐かしさ」と「憂い」以外の感情をもって振り返るのは難しい。多感な頃に価値と方向性を吸収した神経が年齢とともに硬化すれば、その後の時代が直線的に進まない限り、どのような変動であれ期待外れに終わる。ただの変化は秩序の乱れと映り、新しく生まれたものの価値を自分のものにできなければ、時の経過は旧き良きものが失われていくだけの過程でしかなくなる。でも歴史が教えてくれるのは、社会の変化は決して気まぐれには起こらないということだ。そこには必ず因果性があり、旧来の秩序が消えた後には、先行した合目的性を満たす別の秩序が生まれている。そこに法則性を見ない人には、ちょうど朽ちていく自分の肉体のように、世界は崩壊の過程にあるとしか観じえない。

The whole world is falling apart.
Look at us.
( "Rocky Balboa (2006)" )

出演者の風間俊介が発したコメントは印象的だった。「おじさんたちは、勝手にバブルで騒いだ後、勝手に絶望している」。もしかしたら、すでに定着している「失われた10年」という言葉にもバブルの残滓がこびり付いているのかもしれない。失われたものと同等の、新しいものを無視しているという意味で。
僕は90年代以降に生まれたものを自分のものにできているとは思わないが、それでもこの番組を見た感想は、「懐かしさ」や「憂い」とは違うものだった。それはある種の「救い」のような感覚。同じく80年代を扱った第6回の最後にこんな場面が出てくる。風間俊介が問う、「人々はどこかで、この豊かさがずっと続くことはないだろうというのを感じてたんですか?」。講師の宮沢章夫がこう答える。
「いや、僕は感じてた。僕だけの個人的な意見を突然言いますけど。こんなわけないだろう、と思ってたの」
なんかこれを聞いて本当に、救われた、と感じたんだよね。狂騒を振り返って、あとでそれを茶化すことなんて誰だってできる。今、表だってバブルの時代を礼賛している人なんて誰もいない。けれども、あの時代に「こんなわけないだろう」と言ってくれる人も本当にいなかったのだ。心ある人はやっぱりあの時でも異常性を感じてた。誰もが上昇気流に乗れるわけがない。だったら自分の神経が音を上げたのも必然だったんだって。そうだとしたらあの時代に思春期を送るべく生を受けた者の刻印を背負って、もう前を向いて生きていくしかないじゃないか。