今週、友人との会話で議題に上った認知療法と自動思考についての備忘録。
人間の精神を、感情と理性に二分して考えるモデルにはいくつかの弊害がある。その一つは、思い通りにならない心理現象を感情に限定することによって、理性(思考)だけは自分でコントロールできるはず、と思い込むことだ。抗うつ薬や安定剤と同程度の臨床的効果が実証されている認知療法のセルフヘルプブックとして、刊行以来ベストセラーを続けている"feeling good"は、自分の意志に反して思考が習慣的に陥る歪んだ認知のパターン(自動思考)として、10種類のものを挙げている。

自動思考 概要 典型的な心内語 事実に基づいた反論
All-or-Nothing Thinking (白黒思考) 0点か100点かという極端な評価づけ。完全主義の源泉。 「自分には何の価値もない」、「自分は完全な失敗作だ」 短絡過ぎ。完全・絶対なものはこの世に存在しない。
Overgeneralization (過度の一般化) 少数のサンプルから、全体の性質を結論づける。 「仕事に(人間関係に)失敗してしまった。今後もずっと上手くいかないに決まっている」 早計過ぎ。全てのnについて証明するためには、n=1のみについての検証では不十分。
Mental Filter (心理的フィルター) 色眼鏡によって、良い面が見えなくなる。 「もう半分しかない」 「まだ半分ある」
Disqualifying the Positive (良い面を貶める) 良い面を強引に論駁して悪い面に貶める錬金術 「(褒められたが)たまたまだ、彼らが良い人なだけだ、彼らは本当の自分を知らないからだ」 悲観的過ぎ。そもそも好意がなければ、人はあまり他人を褒めない。
Jumping to Conclusions (結論への飛躍) 人の心を勝手に解釈する、将来を勝手に決めつける。 「あいつの考えていることは全て分かっている」、「将来不幸になるに決まっている」 傲慢過ぎ。事実に基づいて、他人の心や将来を予想することは、その道の専門家にとっても極めて難しい。
Magnification and Minimization (過大評価と過小評価) 悪い面を拡大して見る、良い面を縮小して見る。 「失敗した、もうオレの人生は終わった」 大げさ過ぎ。失敗が大破局につながることは稀。人生は死なない限り終わらない。
Emotional Reasoning (感情的理由づけ) 感情を、事実の証拠と思い込む。 「仕事が上手くできるか不安だ→仕事は失敗するだろう」、「あいつがムカつく→あいつが悪いからだ」 感情を重視し過ぎ。歪んだ思考や信念から生み出された感情は、事実の証拠として不十分。
Should Statements (べき思考) 精神的規範を過度に重視する。 「あの時こうするべきだった」、「親は(夫婦は、友人は、社会人は)かくあらねばならない」 堅苦し過ぎ。事実命題(〜である)から当為命題(〜べきである)は導出されない。
Labeling and Mislabeling (ラベリング) 感情的なインパクトのある一言で、人を評価する。 「オレは負け組だ」、「あいつは良い(イヤな)やつだ」 決めつけ過ぎ。人は川の流れのように時々刻々と変転する複雑な存在であり、一言で定義づけることはできない。
Personalization (自己関連づけ) 悪いことが起こった原因を自己に求める。 「あの人との関係がうまくいかないのは、自分の責任だ」、 自意識過剰。物事の原因は一つではない。
  • 方法

認知療法の基本的なアプローチは以下のようなものだ(詳細は原書参照)。
1. 不快な感情(不安、怒り、寂しさ、悲しみ etc)を自覚する。
2. その感情から引き起こされ、頭の中を駆け巡る心内語を紙に書きとめる。
3. 書きとめた心内語を、現代文の問題のテキストを読むように客観的に解釈し、上記のリストを参照しながら、どの自動思考に分類されるかを検証する。
4. その上で、科学的・合理的立場から、事実に基づいて、心内語に対する反論を記述する。
ここで注意すべきなのは、2.と4.において、紙に書きとめることが必須だという点だ。自動思考は極めて強力な自己正当化のパワーを有しているので、心の中で反論を加えるだけでは容易に論破されてしまう。「でも…」、「でも…」の後に生じるご託は大抵自動思考の息がかかっていると思って良い。

  • 効果

1. 自動思考は、歪んだ認知を通して現実との食い違いを生みだし、鬱や不安の原因となる。認知療法によってこうした自動思考の暴走を緩和することができる。
2. 自動思考は、自分に対してだけでなく、他人に対しても攻撃的な言葉を発し、人間関係を傷つける。自動思考に対する観察と対処は、人間関係を毀損している原因の発見をもたらす。
3. 人間は習慣の動物である。自動思考の習性は、私たちが普段目にする言説からも多大な(望ましくない)影響を受けている。教師や親から言われる命令・叱責・評価、ネットやメディアに溢れる批判・中傷・皮肉を観察すれば、その多くが驚くほど自動思考のパターンに類似していることに気づくだろう。自動思考のパターンに習熟することで、溢れかえる情報の中から、パターン化されていない精妙な言葉、慎重で粘り強い思考を選別するための指針を得ることができるかもしれない。

  • おまけ

最後にネガティヴ思考の権化、太宰治の、自動思考の宝庫とも言える珠玉の名言を簡単に分析してみよう。

人間失格 人間はかくあらねばならないという「べき思考」、いくつかの失敗をもって、失格と言い切る「白黒思考」、「ラベリング」
恥の多い生涯を送って来ました。 多くの出来事の中で、恥のみに焦点を当てる「心理的フィルター」
いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。ただ、一さいは過ぎて行きます。 人生を「阿鼻叫喚」と総括する「ラベリング」、幸福が見えない「心理的フィルター」、一つのことしか真理ではないと断ずる「過度の一般化」
富嶽百景
私には、誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて、心もまずしい。 「白黒思考」、「心理的フィルター」、「過大評価と過小評価」