夕方三人で散歩に出たときから、空は雲一つない快晴だった。日が沈むと同時に東の空に上ってきた月は、買い物をして歩く僕らを追いかけるようにあらゆる建物や木立の陰から現れ、僕らの視界に入ってきた。それほど今日の月は明るく、よく目立った。「今日は大きなお月さまが見えるね」。まだ「おつきさま」と言えない息子はその姿を見つけると「おちま、みえる」と手応えありげに返答し、しばらく目で追っている。自然物がもつ陰影の全くないその真っ白で平板な光は、場末の白い街灯のような安っぽささえ湛えながら夜の街を照らしている。小学生の頃はよくベランダに出て月の満ち欠けを観察していたが、息子が生まれてから、またこの月の姿を見るのが好きになった。息子が生まれる前夜に見上げた月が見事な満月で、それから満ち欠けが一巡するたびに、ひと月ふた月と赤ちゃんの月齢を数えていたということもある。息子が物の形を覚え始めてからは、夕方の散歩や寝んね前の儀式時に一緒に眺めるのが楽しみになった。「今日はお月さま見えるかな」と息子に尋ねると、彼は彼なりの推理を働かせてその日によって「みえる」、「みえない」と独自の予想を聞かせてくれる。「見えるといいね」と話しながら抱っこしてベランダに出ると天候によって雲に隠れていたり、もう沈んでしまっていたり、まだ上っていなかったり。それでも新月から三日月を経て、満月に至るまでの間は、お目にかかるチャンスは比較的大きい。日によって見えたり見えなかったりする月は、その仕組みが分からない息子にとって幸運のサインででもあるかのように、それを目にする息子の顔に独特の幸福な表情を浮かべる。瞳は月光を反映して湖のように輝き、頬は透けて真珠色に染まる。満月を過ぎると南中時刻が夜半を過ぎてくるので、子どもが目にすることはなかなか難しくなる。寝んねの時刻に空に月が浮かんでいないことが分かっていながら、それを期待して「みえる!」と叫んでいる息子をベランダへ連れて行くのは、親としても心苦しいところだが、新月までのこの二週間が過ぎると、また夕刻に西の空に三日月が現れるようになる。夕焼けと地球照によってオレンジ色に輝く剃刀のように細い三日月は、息子とともに生きていく時間のサイクルが新たに始まったことを告げてくれる。ひと月前にそれを見たときの記憶も鮮明に蘇る。こうして文字通り家族三人の新しい暦が始まる。規則的な天体の運行とともに刻まれる経験と記憶のリズムは、何百万年も月とともに生きてきた人類の身体にとってきっととても馴染み深いものなのであろう。
今日は十年ぶりの好条件で見られる皆既月食だというので、息子が寝てから実家に双眼鏡を借りに行った。夕刻からの晴天は続き空全体が透明に張りつめる中、月の光は一層その明るさを増している。真夜中に富士山の姿を見たのは初めてだった。雪に覆われた富士は、月光に照らされて闇夜から浮き出るように、白衣を着たようなおぼろげな光を放って西の地平線に佇んでいた。皆既食が始まるのが23時5分。先に妻がベランダに出て双眼鏡で月を見上げている。「右上が欠け始めてるように見えへん?」。双眼鏡を渡されて僕も確認する。「確かに。月は西から東に移動するから、この角度から見ると右から欠けていってもおかしくないよね」。寒いから一旦家に戻って、見かけの「天空の城ラピュタ」を見終わってからもう一度外に出てみようということになる。お約束という感じで二人で泣いた後、そろそろ大分月食も進んでいる頃だろうと再びベランダへ出る。「今度は右下が欠けているように見える」と妻。あれから30分経つのにそんなにゆっくりとしか変化しないものなのだろうかと疑問に思いつつ、僕も双眼鏡をのぞく。「確かに右下が欠けてるね。でも欠けた部分は全然赤くなっていないな。ん?もしかして…」。部屋に戻って確認する。皆既月食は10日の深夜、とある。9日の深夜、10日の未明でなく、10日の深夜。つまり明日。「赤くならない皆既月食もあるんだよ」などと知ったかぶりを言わなくて、本当によかったと今は思っている。