録画してあった『あぶない刑事(1987年)』を見た。三十年前の、まだみなとみらいが呼び物になる前の横浜がフィルムのそこかしこから浮かび上がってくる貴重な映画だった。人質交換の現場になった横浜駅西口は路面の舗装が粗くてまだ土臭さが残っていた。埠頭の倉庫には犯罪者や都市のはぐれ者が息をつく隠れ家の憩いがあった。泥をかぶった重機の向こうに見えるまだ繋がっていないベイブリッジ。映画の終盤に、廃墟となったステージで柴田恭平がタップダンスのようなブレイクダンスのような足さばきを披露するシーンが出てくる。僕や友達も含めて当時の中学生は、二人の刑事が銃弾を潜り抜けて疾走するシーンを気安くマネしたものだけど、あの軽妙なステップは鍛錬を積んだ人間にしかかなわない決死の綱渡りだったことを示す象徴的なシーンだった。凶悪犯を仕留めたあとのラストで、二人はつまらない諍いから救援にきたヘリの席を争った結果乗り損ね、ヘリにぶら下がり海の上で宙吊りになる。いかにもこの映画らしいコミカルなエンディングも、ヘリの高度を考えれば二人を待ち受けている死を意味しているとしか考えられない。上昇気流が途絶えたあとの結末を覚悟した者にしか許されない浮かれ騒ぎ、それを軽佻浮薄に描いてみせた傑作。
あっという間に誕生日だ。去年の今頃はまだ双眼鏡をもっていなかったから、この一年足らずの間に随分とたくさんの星を見てきたものだ。
この一年の嬉しかったことだけを思い浮かべてみる。
妻からクリスマスに長い手紙をもらったこと。妻が無事に退院したこと。その妻の入院中、息子と二人っきりで過ごしたこと。
悲しかったことは敢えて思い出す必要もない。泣いた直後には笑顔があり、笑ったときにも誰かの悲しみが心を離れることは少なかった。今の時代、全ての人の悲しみは繋がっている。