その日は昼前に、しばらく連絡の取れなかった友達に会うため妻が息子と出かけていった。その友人は産後すぐに遊びに来てくれる話になっていたのだが、はっきりしない事情が色々と重なったようで、もう半年以上も会うことができずにいた。数日前に久しぶりにその友人と電話で話した後、「意外に元気そうだった」と言って妻の表情は一気に明るくなっていた。家まで来てもらうこと、僕が息子を見ている間に妻が一人で出かけることも考えたけれど、話す内容や、まだ一度も子供の顔を見てもらっていないこと等思いめぐらして、結局妻が息子を連れて横浜まで出て行くことにした。地下街で落ち合った頃は、ちょうど昼食のサラリーマンやOL客が仕事へ戻っていく時間帯だった。レストランに席を取ってからほどなくして息子がミルクを欲しがったので与えると、彼はベビーカーの中ですぐに眠りに落ちた。友人はこの間に起こったことを妻に向かって話し始める。
僕は二人が出かけた後も、日のあたらない北の部屋で仕事を続けていた。昼過ぎになって一区切りがついたので、ビニールの袋にゴーグルとキャップと下着だけ詰め込んで近くのプールに向かった。線路沿いの道に黄色く枯れたいちょうの葉が舞っている。頬に当たる風は冷たく乾いている。空はプリズムを通したように青い。
仕事の人間関係から始まった友人の話は、あちこちに飛び火して勢いづきあっという間に口が止まらない状態になってしまっていた。上司のこと、健康のこと、将来のこと。妻は同調も否定もしないで、ただ静かに頷いている。友人がその時どのような気持ちで話していたのかを、僕は容易に想像することができる。一時間ほどたち、息子が眠りから目を覚ました。店内の灯りが彼をゆっくりと外の世界に慣らしていく。妻はふと思う。そうだ、このまま波止場へ行って、三人で水上バスに乗ろう。
昼下がりの時間帯にプールへ行くのは初めてだった。ガラス張りの壁から、西に傾いた日が室内に注ぎ、木々の陰をプールの底にまで躍らせていた。ラジカセからユーロビートのダンス・ミュージックが流れ、その反響するリズムに合わせて、壁際のレーンに並んだ年配の人たちが体を動かしながら歩いている。若い女性スタッフがその様子を見ながらマイクで次の動きの指示を与えている。「余裕のある方は、手で足に触りながら…」。その横を僕はひたすらクロールで泳いでいく。汚いフォームで息を切らしながら25mずつ距離を重ねる。水中で聞く女性の声は、怖かったスイミングスクールのコーチのことを僕に思い出させる。
その頃、友人に抱かれた息子は、彼女の膝の上から水面に映る日を見つめていた。埠頭を抜ける風が時々彼を怖がらせたけれど、そのたびに友人が抱きかかえて彼に安心を与えてくれていた。船が進路を変え、光の向きが変わるたびに息を呑んでいた息子は、帰りの混んだ電車でずっと眠っていたという。