どの親にとっても、子どもを初めて海に連れて行った時の記憶は鮮明であるものらしい。僕が初めて海に行った時、僕は父親が海に入るのを見て「入らないで!」と叫び、泣いていたそうだ。
朝、部屋のカーテンを開けると、目の前の海は昨日とは違う群青色に輝いている。午前の日を受けた浜辺は白く光り、いくつかのパラグライダーが海岸沿いを無音で飛行している。起きると同時に沖縄民謡のBGMのスイッチを入れた息子は、長旅の疲労もどこ吹く風で、早速三拍子のリズムを真似たり、「ヤッチャチャッチャッチャ」という囃子を口ずさんだり。昨日、波でビショビショになったことで、海には行きたがらないかもしれないなと思いながら今日の予定について話すと、すかさず「うみ行こか」と連呼して、靴で行くかビーチサンダルで行くかの選考に入った。僕らもそれで安心して、今日はあの綺麗な海で一日を過ごせると、ちとテンションを上げ過ぎてしまったのがいけなかった。昨日にも増して強烈な日差しの中、早く海に入ってこの暑さを振り払いたいという思いが先走り、浜辺に着くなり僕と妻はずんずんと海の方へ近づいて行った。今から考えると言わんこっちゃないと言うしかないが、僕が腰まで水に浸かったところで息子は泣き始めてしまった。少しばかり説得を試みたりもしたが、一旦恐怖を抱いてしまった人間に対して理屈をこねるほど馬鹿なことはない。思い直してすぐに岸を上がりホテルのプールまで歩いた。妻が砂に汚れた靴を洗っている間、息子はプールに背を向けて、プールサイドのスプリンクラーが芝生に水をまく様子を眺めていた。朝の天気予報では今日の波は2mと予想されていて、確かにさっきの波はざぶんざぶんと打ちつけ、さざ波とは程遠い勢いがあった。引き潮のスピードも速く、水平線まで無限に続くと思われる海の端で、自分の父親が波に洗われている姿が三才になったばかりの子にどう映るのか。息子は一言も喋らなかったけど、その間、彼なりにある種の挫折感を噛みしめていたのかもしれない。彼は五分ほどたってからプールに入ると言いだした。水と親しむための別の案を彼自身が出してくれたことに頭が下がる思いで、ならばこのプールで目一杯楽しもうと決め、三人でプールに入った。僕が息継ぎをしながらプールの端から端まで泳ぐと、アームリングをつけた息子もブクブクパーと水につけて息を吐きながらバタ足で進んだ。妻が立ち泳ぎのままシンクロのようにクルクルと回転すると、息子も手と足を使って右回り左回りにクルクルと回った。妻の水中での逆立ちやスクリューという曲芸を二人で見たり、水を掛けあって遊んだり。
日は天頂を過ぎて午後になった。もう息子に海に入ることは求めないけれど、僕らとしてはそれでも何とかして彼に海と親しむ機会を作ってあげたかった。妻が底がガラス張りになった船で魚を見る、グラスボートのツアーというものを見つけてきた。彼に提案すると「ふねのる」、「おさかなみる」との返事。大人二名、子供一名でカウンターへ申し込みに行くと、スタッフの方が息子を見て「波高いですけど大丈夫ですか」と不安なことを言う。折角乗り気になったプランを取り上げてしまうのも忍びなく、「やっぱりこのくらいの子だと厳しいですか?」と聞くも「うーん、今日は波が高いですからね〜」と全く安心させてくれない。妻と顔を見合わせてから、息子を波止場の見える海岸まで連れて行き、遠目にも波に激しく揺れているポートを指さして、あれに乗るんだよ、と息子に確認する。再度「ふねのる!」、「おさかなみる!」の返事。彼の中に何かを克服したがっているような堅い決意を感じて、計35分のツアーに申し込むことを決めた。出航時間が迫っていたため、息子をだっこして桟橋を歩く。上下する波に木製の桟橋は大きく揺れ、まっすぐに歩くことができない。息子は海の方へ体を向けたまま「ちょっとゆれてるだけだから、だいじょうぶなのよ」と声を上げ、己を鼓舞している。ポートに乗ってからも揺れは収まらず、耐えながら妻にがっちりと抱きしめられて息子は出発までの時を待った。宮古島の与那覇前浜から1.5km離れた対岸の来間島まで、所々の珊瑚礁を巡りつつ往復する間、船底には多くの熱帯魚が顔をのぞかせてくれたけれど、息子の様子が気になっていた僕らに珊瑚礁の絶景があまり記憶に残っていないように、彼も船体の揺れと波しぶき、ガラガラと響くエンジン音に気をとられて、魚の姿などほとんど目に入っていなかったのではないだろうか。それでも、ツアーを終え、桟橋に立った彼の後姿は満足げだった。あれほど怯えていた波が足元に打ち寄せても、今度は自分の足で桟橋を歩いた。使命を終え悠然と帰還する彼はオデュッセウスのように誇らしげだった。