昼過ぎから、前に住んでいた町まで温水プールに出かける。
ガキの使い』の遠藤たけしのコーナーを見て、息子が興味津津になったウォータースライダーがあるというのが、このプールに来た理由だったのだけど、目玉の全長80mの大型スライダーはあいにく対象年齢が小学生以上ということで、息子も渋々断念。初めは父ちゃんがボブスレーのように体を左右に震わせながらプールに突っ込むのをほぉと眺めていたが、そのうち「あれ見ないよ!」と言って妻の手を引き、子ども用の3mポッキリの滑り台に陣取って滑り始めた。妻によると、同性の親への新しい意識が芽生えてきて、母親に対しては見せない競争心を燃やして僕の行動を模倣することがあるそうだ。今日も滑り方を工夫してなるべく男らしい水しぶきが上がるようにと試行錯誤、妻が声をあげると「ほら、顔に水が掛かっちゃったでちょ?」とご満悦の様子。滑り台に張り付いている息子と妻をよそに、25mプールや流水プールで1kmほど泳ぐ。大きな窓から光が差し込んで、水の音と反響する人の声だけが聞こえる。ふと、かつて先生の罵声が鳴り響くただのうす暗い孤独な空間だったプールが、いつのまにか愛しい場所に変わっていることに気づいて泣きそうになる。結局僕だけが満足に水泳を楽しんだ。だっこをせがまれて泳ぎ足りない妻は、最後に息子を背中に乗せて無理やり平泳ぎをして気を晴らしていた。
アイスクリームを食べてから、徒歩二十分の帰り道をのんびりと歩いた。ビルのテナントが多少入れ替わっていたり、行き交う人の人相が今住む町と違っていたりしても、今日この駅の改札を出てすぐにホーム感が戻ったのは、多分山あり谷ありだった九年間ずっとここに住み続けたから。朝昼晩、徒歩で自転車でバイクで踏破した町のトポスが、脳にこびりついているのだ。角を曲がるたびに同じ想念が湧いてきて、それを口にすると、「今同じこと考えてた」と顔を見合せて笑う。母ちゃんの腹の中で相当な距離を踏みしめていたはずの息子はベビーカーに凭れて何気ない顔をしている。僕は生まれた町を故郷とは思わない。息子は息子で己が家族と故郷を築くだろう。
電車の中で、ヤンキー風情の兄ちゃんが、僕の目を盗むように息子に笑顔を送ってくれる。