結婚祝いに母親から贈られた電子ピアノを甥に譲って以来、しばらくピアノから遠ざかっていたのだが、先日出産祝いにまた母親から別のモデルをプレゼントしてもらい、親の僕がまずは試し弾きとばかりにぼちぼちと練習を再開している。とはいえ、最近は仕事に割かれる時間が12時間を軽く超える状況で、ピアノのための時間が残る日はそれほど多くない。初心者が先生につかず、限られた時間の中でどのような方法を採れば自分なりに充実した時間がもてるだろうか、と考えて試行錯誤した結果についてのメモ。
僕が今主にJ-POPの曲の練習で使っている方法は、楽譜をすべてハ長調に直して弾くというものだ。といっても楽譜の音符を逐一変換するのではなく(脳の処理が追いつかない)、一旦メロディー全体をまるごと覚えてしまってから、それをハ長調に頭の中で変換して練習し、ある程度弾き慣れたところで、今度は脳内ではこれまでと同じようにハ長調のメロディーを歌いつつ、主音を鍵盤上のドから本来の調の主音に平行移動して演奏しなおす(つまりヘ長調なら、鍵盤上のファをドとみなし、ドミソのメロディーを、ファラドと弾いて本来の調に戻る)。なぜこんな回りくどい方法にたどり着いたかというと、理由は簡単で自分にはハ長調しか音感が無いから。楽譜に書かれてある順番に通りに音を押さえていけば確かにメロディーは鳴るけれど、その練習法では、ピアノが奏でるメロディーが自分の音感と結びついていないので、なぜそのキーを押したらこの音が鳴ったのかについて、十分に納得できないまま練習を続けることになる。練習を積むごとに、目が鍵盤上の位置を覚え、指は動きを覚えていくけれど、演奏していても心から歌っている感覚がなかなか味わえない。カタルシスもない。とりあえず弾けるようになったとしても、目と指だけで曲を覚えてしまっているので、途中で躓いたりすると曲の始めからでないと演奏を再開できなかったりすることも多い。試験勉強で、意味が理解できないまま公式だけ覚えてテストでは合格点を取ったものの、応用問題には歯が立たない状態とよく似ている。要するに時間をかけて練習した割りに、曲が自分のものになった感覚がもてないのだ。「ハ長調練習法」では、このような空しさをある程度回避することができる。心内メロディーと指の動きが連動するので、自律的に演奏している感覚に満たされて楽しいし、指の動きを忘れてしまった場合でも、メロディーさえ覚えていればなんとか音をつないでいくこともできる。おまけに(これは僕に限った特殊事情かもしれないが)僕にはきわめて頼りない絶対音感しかないのでドミソと弾きながら、ファラドを弾いてもほとんど違和感を感じずにいられる。なので、J-POPの場合は練習の最後の段階、つまりハ長調から本来の調に戻す作業を端折ってしまうことも多い。そうすると左手で押さえるコードも標準的なものに限られるので、慣れてくると比較的楽に一曲をそれらしく弾くことができるようになる。
この練習法の欠点は、手間がかかることと、ハ長調以外の音感がいつまでたっても鍛えられないこと、それと転調に弱いところだ。J-POPのように一、二回の転調で済む場合ならともかく、一小節ごとに転調があるクラシック曲になると、わざわざハ長調に変換する意味はなくなってくる。そこでクラシック(といっても今取り組んでいるのは『バッハ小曲集』という初心者用の曲集)では、初心に帰ってというか、幼稚園のときにピアノの先生に教わった方法に立ちかえって練習をしている。つまりまずは右手だけで練習し、次に左手だけで練習、最後に両手を合わせてというもの。ここで気をつけているのは、曲の完成を急いで、右手である程度弾けるようになった時点で拙速に左手を合わせようとしないことだ。これをやってしまうと、それらしく弾けるまでの時間は短縮できるけれど、(ソルフェージュの素養のない人間には)左手が鳴らしているメロディーがいつまでたっても聞こえてこない。脳内に流れるメロディーは右手だけと連動し、左手はそれに協和する音を置きにいくことだけに集中してしまう。耳に聞こえてくるのはもっぱら右手が奏でる主旋律のみで、左手の旋律はただ主旋律と協和しているかどうかという基準でしか聞こえてこない。つまりバッハの多声音楽を、ポップスにおける歌とコードのような解釈で弾いてしまうことになるわけだ。これを避けるために、今僕が試しているのは、とにかく愚直に、メロディーを鼻歌で諳んじられるようになるまで、右手と左手をそれぞれ時間をかけて練習すること。この時点で得られる音楽的体験が二つある。一つは右手だけでなく左手でもこれをやることによって、左手の旋律がもつ、地味だけど独特の渋い美しさに気づくことができるということ。もう一つは、何遍も繰り返し弾くことで、その曲が書かれた調への感覚も少しずつ開いていくことができるということ。この二つは少なくとも僕の以前の拙速な練習法では得られなかったものだ。これを踏まえたうえで最後に両者を合わせるのだが、注意すべきことは、この際、両手が奏でるメロディーを絶対に聞き逃さないようにするということだ。人間の耳には同時になっている旋律のうち、上の旋律から優先的に拾おうとする性質があるので、両手を合わせたと途端に左手の旋律は聞き捨てられてしまいがちなのだ。そこで僕がやっているのは、左手の旋律を口ずさみながら、両手で練習をするというもの。こうするとデフォルトで耳が追っている上の旋律に合わせて、左手の旋律を歌うことになるので、両者の協和を一心に感じながら演奏することができる。ここで得られるハーモニーの感覚は、僕にとっては驚きを伴うほど新鮮なもので、以前に弾いていた小曲もこの演奏法で弾き直してみると、全く別の豊かさをもって聞こえてくることがしばしばあった。逆に言うと、これまで自分の演奏が、目と指だけに頼り、どれだけの音を聞き逃してきたかを思い知れされたということでもある。確かにこの練習法は一曲を完成するまでに時間がかかるけど、その途上の時間をゆっくり楽しみながら進んでいくことができる。『フランス組曲第5番』の『ガボット』は、簡易ながら3声の音楽になっていて、この遅々とした練習法にとって最適な教材になってくれている。