先々週と先週、仕事の合間を縫って色々と楽しいイベントがあった。まず先々週は木曜日に小沢健二の復活ライブを見に神奈川県民ホールへ。いくら好きなアーティストだからといって、まさか自分がそんな華やかな場所へ顔を出すなんて思ってもいなかったけど、今回は妹の旦那さんが誘ってくれるという縁もあって、のこのこと出かけて行ったのだった。日本大通り駅の構内から地上に出ると、もうそれらしい年齢と性別の人々が通りに溢れている。多くが僕より少し年下(妹の旦那さんと同じくらい)の女性たち。ちょうど『LIFE』や『刹那』の曲がヒットしていた1994-1995年頃に王子様に熱を上げていた元女子高生たちだろうか。会場に向かって交差点を渡り通りを進む見知らぬ人々は、月並みなだけど同じ目的地を目指して歩く巡礼者の列のようだ。会場はすでに外の広場まで人が一杯で、なかなか入口にまでたどり着けない状態。警備する警察の目を盗んで、何人かのダフ屋が余ったチケットを売りさばこうと声をかけてくる。旦那さんから携帯にメールが入る。なんと彼は僕より一時間も前に会場入りしているらしい。おいおい、昨日のメールでは直前まで仕事をしてから向うから、現地に着くのはぎりぎりになるという話だったじゃないか。グッズ売り場の長蛇の列に巻き込まれて身動きが取れないということなので、先に席に着いていると、今度は電話がかかってきて、グッズを買い込みすぎて金が足りないから今すぐ来て貸してくれと、まあいい感じにはしゃいでいる。席は1Fの6列目。しかも目の前が広めの通路になっていて開放感も感じさせる絶好のロケーションだ。ステージの上に所狭しと置かれているピカピカの楽器たちも間近によく見える。「あの十字架のエンブレムが入ったギターは、小沢が笑っていいともに出た時に弾き語りで使ったモデルですよ」などと、旦那さんは僕より遥かに詳しい知識を披露してみせて、とにかく楽しそうだ。円錐状のホールには満員の観客の歓談する声が入り混じったざわめきや、アーティストの登場を期待する陽気な熱が充満している。そんな空気に浸りながら楽しそうな彼の表情を見ていると、ちょっと自分は気負いすぎていたかもしれないな、などと思う。会場に入り、自分が孤独に愛してきた曲を好む人間が実はこんなに沢山いるのだということを知っただけで、僕の心はもうだいぶ打ち解けてしまっていた。少なくともこの人々と共にする時間の中では、自分の趣味嗜好を隠しだてする必要はないのだ。これから訪れる時間は、決して僕がアーティストに試される時間じゃない。ヘッドホンから聞こえていた音に託していた想いが、生の演奏によって本物に格上げされる式典でもない。むしろこれまで曲にギュウギュウに詰め込んできたそれぞれの思い出や願いを大勢で開けっぴろげにできる自由がライブの魅力であることを、開演前のざわめきは僕に気付かせてくれていた。
そんなことにも気付かずに、僕はまるで青春に決別を告げるような大げさな心持ちでこの日を迎えたのだった。二十代以降の僕の心象風景の数々に彼の曲が添えた彩りはそれだけ鮮烈だった。たとえば、引っ越しが終わり息子が生まれるまでの一ヶ月間の僕の心持ちを規定していたのは、間違いなく『カウボーイ疾走』という一曲だった。僕はこの曲を、ディスクジョッキーがヘビーローテーションをかけるように毎日PCから流した。初めて聴いた時、やっぱりこいつは天才なんじゃないかと思ったオルガンとベースが織りなすシンプルな間奏は、後で調べてみて、案の定というかなんというか、元ネタというべき曲(Booker T. & the M.G.'sのMelting Pot)があってああやっぱりと苦笑したりもしたけど、そんなことくらいでこの曲の輝きは全然消えなかった。オルガンが奏でるメロディーは、まだカーテンの掛かっていない部屋に入り込む夕闇と溶け合って僕の体をいつまでも優しく揺すった。その快さに抗うように僕はこんなことを思う。子どもが生まれたら、こんな曲に果てしもなく感動する自分から変われるかもしれない…。
ホールのライトが消え、「ひふみよ!」の掛け声とともに『流星ビバップ』が始まった。小沢健二の中でも完成度では一番高いものの一つ。安っぽいオルガンが弾き出す軽快な8拍子のリズムもオープニングとしては最高だ。僕と一緒に座って開演を待っていた旦那さんは、いつの間にか立ち上がって叫び声をあげている。女性客たちは僕が覚えていない歌詞の細かいところまで暗唱していて早速一緒に歌い出し、それにつられて僕も立ち上がり踵でリズムをとる。こんな曲を生で聴いたら泣き出してしまうんじゃないか、という僕の不安は、この一瞬で杞憂として消え去った。小沢健二のボーカルは、CDからは想像もつかないほど熱が入っていて力強く、過去の日溜りに佇もうとする僕のpsycheを引きずり出して場内の合唱と一体化させる。それでいて、演奏や歌い方自体は13年ぶりとは思えないほど、余分な装飾や円熟もなく90年代のアレンジそのままだ。それに続く『ぼくらが旅に出る理由』から、アンコールで歌った『愛し愛されて生きるのさ』まで、結局小沢健二がやったのは、90年代に彼が磨き上げた結晶の美しい再生だった。本人は「今日はちょっとノリノリで来ちゃったけど」と言って照れていたけど、あの時代もこの日も、空元気のように映った彼のノリの良さは、内省的な自己に歩みを進めさせるための鼓舞そのものであったように僕には聴こえた。そのことの実直な告白は、『流星ビバップ』の次のような言葉の中にはっきりと刻まれているように思う。

長い夜に部屋でひとり ピアノを叩き水をグッと飲んで
あん時誰か電話をかけてくりゃ涙だって流してた? WOH・OH・OH
そんな風に心はシャッフル 張りつめてくるメロディーのハード・ビバップ
ただ激しい心をとらえる言葉をロックンロールの中に隠した

フリッパーズ・ギター解散後、小沢健二のライブを聴いた小山田圭吾が「尾崎豊みたい」と漏らしたというエピソードは有名だけど、その真意はともかく(大いに皮肉が込められていることは明白だが)小沢健二は90年代において倫理性への志向をout of dateでない形式に定着しえた希有なアーティストの一人だった。言葉選びの中に発揮された彼の美的センスは、時に松任谷由実を思わせるほど耽美的な傾きをもっていたにしても、松任谷由実の詩が平安時代の女流文学のように無方向な情緒の流れの中に沈んでいったのに比べると、小沢健二の言葉には最初からはっきりとした志向性があった。彼にとって、多感な気分を才能に任せて歌い上げることはすでにフリッパーズ・ギターの『やがて鐘が鳴る』で一定の区切りがつけられた事柄であったのだろう。古今東西のポピュラー音楽を勉強し、引用や折衷の天才でもあった彼にしてみれば、そのような情緒はすでにあらゆる形で歌われてしまっているという諦観があったのかもしれない。だからこそ、ファーストアルバムの『天使たちのシーン』で、新しいサークル(共同性)を夢見るような境地を示すことができたのだと思う。新しいサークルの追求は、二作目以降の作品の中で具体的な形をとって現れてくる。それはありふれた仲間内のから騒ぎ(『今夜はブギー・バック』)にとどまることもあれば、恋人との愛の普遍化(『ぼくらが旅に出る理由』)に向かうこともあった。後者の模索の過程で生まれた『いちょう並木のセレナーデ』や『恋しくて』は確かに限りなくintimateで切実な関係性を示した名曲ではあったけれど、具体的であるだけに、初めに夢想された境地からすると理想が薄められ、普通のラブソングに戻ってしまったような印象も残した。彼がその後頻繁に使い始める「光」、「神さま」、「奇蹟」といった言葉たちは、この行き詰まりからの一気の飛躍を図ろうとする小沢健二のあがきの苦しさを僕に感じさせた。

屋根を走る仔猫のように僕は奇蹟を待っていた
夜をブラつき歩いてた
全てを開く鍵が見つかる そんな日を捜していたけど
『強い気持ち・強い愛』

ライブでは二曲の新曲(『いちごが染まる』、『時間軸を曲げて』)が披露され、また曲の合間に、アメリカ大陸での放浪を下にした散文詩が朗読されたりしていた。これらは、その完成度が90年代の彼の作品に比すものであるかは別にしても、彼がまだこの気高い模索の中にいるのだという印象を僕に与えてくれるものだった。しかし、新しいサークルの形を具体的に提示するとして、それが果たして楽曲や詩の発表によって可能であると期待すべきなのだろうか。このライブにくるまで、小沢健二の曲は、僕自身やせいぜい妻との間の想い出を美しく演出する個人的な思い入れの対象物に過ぎなかった。その完成度が高ければ高いほど、楽曲を消費する個人の体験や思いは強く正当化され、一時の自信の亢進を与えてくれる。個人が密室の中で消費する音楽とは、もともとそのような役割を期待されたものだ。でもこのライブを聴き終わって僕は思うのだが、ライブで演奏される音楽にはそれとは別の力が降ってくるのではないか。観客はアーティストと共に内からこみ上げる生命の調べを歌い、友人と感動を語り合う。アーティストの汗の飛沫を目撃しながら、彼がなぜ沈黙を破ってまた人々の前で歌い始めたのかに思いを馳せる。そのこと自体が、曲の歌詞が直接明示する内容の如何にかかわらず、ある種の共同性を体現しているのではないか。ライブの後、旦那さんに乗せてもらった車から見たマリンタワーの光は、僕らにとって忘れられないものになったのだ。このことを教えてくれた小沢健二の熱演に本当に感謝したい気持ちだ。