「今日の22:54〜23:58、NEWS ZEROに氷室さんが出演するわよ。親子三人で正装、正座してテレビの前で待ってなさい!」水曜日。熱狂的氷室ファンを自認する友達から妻の携帯に甲高い調子のメールが入る。息子はさすがにもう眠っている時間なので、妻と僕だけで書斎のテレビの前に座りお菓子を食べながらその時を待つ。と言っても、威圧感満点の文面に押されて渋々、というわけでもない。僕は初めて自分でお金を出して買った記念すべきアルバムが、The Beach Boysの"Kokomo"やEnyaの"Orinoco Flow"やMadonnaの"Like a Prayer"を、どこの誰とも知れない歌手が空疎な伴奏をバックに歌う安物のコンピレーション・アルバムだった、という黒歴史をもっているが、二枚目のアルバムはレコード屋で予約までして手に入れた氷室のセカンド・アルバム"NEO FASCIO"であったし、初めて友達と行ったライブも"NEO FASCIO"発売直後に横浜アリーナで行われた公演だった、ということもあって、(件の友達と話すときこそ場のノリで彼女の熱狂ぶりをからかう態度をとってはいるけれど)個人的に氷室京介はとても愛着のある歌手の一人であるからだ。どちらかと言うとソロになってからの曲よりも、BOOWY時代に氷室京介がボーカル、作曲、作詞の各面で関わった曲の方に思い入れは強く、今でも"わがままジュリエット"の、下手をすればお経寸前の単調なリズムに乗せたメロディーをバラードとして歌いきるボーカル力や(この曲をを無理してカラオケで歌ったら、妻に木魚を叩くマネをされたことがある)、"LONGER THAN FOREVER"の「しゃべりすぎたから少し眠るよ」、「正直に言うと今夜キメたから」という歌詞に見える言葉選びのセンスは、当時の彼が普通ではない才能の持ち主だったことを物語るものだと思っている。番組のインタビューで印象的だったのは、そんな彼が50才になる今になっても、奥さんに「才能ない、もうやっていけない、もう止める」と毎晩のように駄々をこね、弱音を吐いている現実が語られるシーンだった。そもそも番組の取材を受け入れる決心をしたのも、そうやってジタバタしながらも一歩ずつ前に進もうとして壁に頭を打ち付けている姿が画面に映し出されることを期待してのことだったという。時折忙しない手の動作を伴いながら頭に想念を巡らせ、そこから弾け出て来た言葉を逃すまいとして、急に早口になる話しぶりは、普通の人が年をとるにつれて、自分の知っていることしか話さなくなっていく姿と比べると非常に対照的で、僕と妻は同時に、氷室と同じO型男子のある友人の姿を思い出してしまったのだった。彼がインタビューの中盤で語った、「自分に才能がないところを受け入れ、その上で何をやらなきゃいけないかという事をきちっと自覚し、そのための努力は怠らず、というところまではいけてると思う。(それが惑わずということならば)そこまでは行けている」という言葉にはささやかな自負がこもっていて、僕の心の中にも力強く響くものがあった。これからもっと先のある時点で、人生について自ら語る必要に迫られた時、もし自分が所有物や趣味のことでしか話せないとしたらそれはとても情けないことだし、到達した地位や周りからの評価だけで語るとしても少々寂しいものがあるだろう。いつか訪れるかもしれないそんな時に、熱のこもった、内包的(intensional)な言葉が自然に迸りでるような人生を出来る限り僕も歩んでいけたらと思う。