朝永振一郎が一般向けに書いた著作の一つに『鏡の中の物理学』というエッセイがある。鏡による鏡像変換を引き合いに物理の世界に見られるいくつかの対称性の問題を紹介した掌編で、時間変換に対して非対称な熱力学現象や、当時まだ新しいトピックだったCP対称性まで触れられている。啓蒙書を比較的多く書いた朝永の中でも有名なものだが、実はこれに続編(と称される作品)があることはあまり知られていない。みすず書房から出ている『庭にくる鳥』に収められた『かがみ再論』というのがそれで、著者も「再論」というのが『鏡の中の物理学』に対するものであることを序文で認めている。で、その「再論」の中身がどのようなものかというと、最近の百貨店では柱や壁に鏡をあつらえたものが多くなった。この意匠には店内を広く豪華に見せるという店舗側の期待も込められているのであろうが、利用客側としてはいささか問題もある。たとえば待ち合わせをしていて友達が来たと思って「やあ」と声をかけて歩き出したら、実は認識したのは鏡に映った友達の影だったということにもなりかねない。この、鏡像を誤認するという現象は、災害のときにはもっと困った事態を引き起こす可能性がある。なんとなれば「出口」はもちろん、「入口」という文字もほぼ左右対称であり、鏡に映った標識を見てそれと気づくことも望めないのであるから。今日図書館で立ち読みしただけなのだが、実質的内容はこれ以上でも以下でもなく、これでは書くことがないにもほどがある。こんなものでもノーベル賞物理学者という肩書と共に世に出してしまう出版社はヒドイと思った。ただ全体に緩めのエッセイが並ぶ『庭にくる鳥』の中でも、自身の腸のポリープ手術の体験を綴った『入院の苦しみ』は、著者の文才が感じられる好編だ。ブリキの破片を突き刺されるほど痛みを伴った過酷な治療体験を語りながら、「テイモウの儀の後はカンチョウの儀で身も心も清められて」などユーモラスで終始どこか他人事のようで、それが逆に読む方にいじらしさを誘う。最後に付け足される奥さんへの言及も愛らしい。