ようやく日記を書く時間がとれたので一息。
ハレー彗星接近のブームも手伝って天体観測に熱中していた三十年前、天体望遠鏡や双眼鏡のカタログには一様に個々の商品の「極限等級(十分に暗い夜空の下で見える星の等級の限界)」の記載があった。息子が、夏休みの自由研究用に望遠鏡を手に入れた同級生に衝撃を受けて帰ってきて、自分も欲しいと言い出してから、久しぶりに今売られているラインナップを眺めていたら、双眼鏡では極限等級の記載がないモデルが非常に多い。それに大口径・低倍率が正義だった当時から趨勢が変わって(当時は7x50(7倍・対物レンズの口径50mm)の双眼鏡が天体観測の標準機とされていた…が、憧れたニコンは高くてとても手が出なかった)、中口径・中倍率のモデルが人気を集め、良い値段がつけられている。
大口径・低倍率が推奨されていた根拠は、たしか「レンズが大きいほど多くの光を集められるが、倍率が上がるほど視野が狭くなって暗くなる」といったもので、僕も素直にそれを信じていたが、今は「ひとみ径(=対物レンズの口径/倍率)」というパラメータが重視されていて、中には双眼鏡の明るさを決める最重要のファクターだという人もいる。双眼鏡は、観測対象(鳥を見るか星を見るか)も使用目的(大きく見るか細かく見るか)もさまざまで、それゆえ重視される「明るさ」の定義もまちまちなために、議論に多少の混乱が生じているようだ。気になって調べていると、双眼鏡の極限等級について明快に説明している素晴らしいサイトに出会って疑問が氷解した。
要するにこういうことだ。まず恒星のような点光源のことは忘れて、海、山、夜空など広がりをもつ発光体(面積体)について考える。対物レンズの口径D[mm]、倍率m倍の双眼鏡で面積体を観測すると、人間の瞳孔の直径が7[mm]なので、D/7倍(正確にはその2乗)の光を集められるが、視野をm倍に引き伸ばして見ることになるため、単位面積当たりの輝度は1/m倍になる。つまり面積体に限れば画面の明るさはD/7m倍になる。この意味で、「レンズが大きいほど多くの光を集められるが、倍率が上がるほど視野が狭くなって暗くなる」、「ひとみ径に比例して明るくなる」という主張は正しい(ただし、ひとみ径は接眼レンズの近くにできる像の径であるため、人の瞳孔の直径=7[mm]に明るさの上限がある)。
ところが観測対象を星にしぼり、目的を「暗い星を見分ける」ことに限定すると事情が変わってくる。目標の星は点光源であり、倍率を上げてもその一部分が視野から外れることはないから、視野の引き伸ばしによる輝度の減少もないため、集光力のファクターだけが効いて明るさはD/7倍になる。つまり面積体である背景の夜空がD/7m倍になる一方、星自体の明るさはD/7倍になる。
どのような明るさの背景の下でどのくらいの明るさの星が見分けられるか、という問題は、人間の視覚能力の性質が絡むので決して自明ではない。リンク先にある通り、アメリカの学者が導出した限界等級(上記の効果を考慮した星の等級の限界)式は次のようになる。
限界等級 = 7.93 + 5*log(D/7) - 5*log(1+(D/7m)*10^(4.32-SQM/5))
(ここでSQMは背景となる空の明るさの等級。4等星まで見える空では〜18、6等星まで見える空では〜21)
第2項に星の明るさの倍率D/7、第3項に背景の明るさの倍率D/7mが見られる。式から限界等級はmについては明らかに単調増加。Dについても、式をDについて微分すればm>0のとき単調増加。したがって、同口径の双眼鏡では倍率が高い双眼鏡の方が暗い星まで見え、同倍率の双眼鏡では口径の大きい双眼鏡の方が暗い星まで見えることになる。
また、極限等級はその定義から以下の式で表せるが
極限等級 = 6 + 5*log(D/7)
二つの式の差をとると、
限界等級 - 極限等級 = 1.93 - 5*log(1+(D/7m)*10^(4.32-SQM/5))
となる。Dとmの値にもよるが、SQMの減少関数である右辺の第2項は、SQMが20を超えると1.93を下回ることがある。倍率mにより背景が暗くなる効果で、極限等級を上回る星も視認が可能になる。
興味深いのは10x30と7x50など、口径も倍率も異なる双眼鏡の限界等級の比較である。計算してみると一昔前の常識とは異なる結果が出た。

\SQM 18 19 20 21
10x30 8.5 9.2 9.7 10.1
7x50 8.2 9.0 9.7 10.3

天体観測に不向きなはずの小口径・高倍率の10x30が、SQM<20の空では7x50を上回っている。
もちろん、天体観測の目的は暗い星を見ることだけではない。目標を決めず星空を逍遥するときなど、広い視野が確保できる低倍率の双眼鏡が適している場合もあるのだろう。大口径・高倍率が正義だと言っても、それを突き詰めてしまえば、結局は望遠鏡に行き着いてしまう。手持ちの気楽さと、広視野のメリットを確保しながら良い星像を求めるとなると、10x50辺りが最適解だろうか。ニコン7x50への幻想からようやく解放されそうだ。