村上龍に、"Africa for USA"と揶揄されたほどの豪華キャストがそろった"We Are The World"の中でも、シンディ・ローパーの歌ったパートが出色の出来だったことは多くの人が認めるところだと思う。彼女の奇跡的なフレージングが生まれた様子を収めたレコーディングの動画がYoutubeに上がっていた。

こういうbrightな価値を生み出していく場面では、アメリカ人(の集団)にはどう転んでも勝てっこないと思ってしまう。そこにいる皆が個人のクレジットを超えた「良いもの」が生まれることを待ち望んでいて、discussionとtrialを重ねていった先に必ず実は結んでいくんだ、ということを確信している希望の風土。ついこの間、友人と「強い人」について話したのだけど、アメリカ人の「強さ」が基づいているのは、対外的にも対自的にも、身一つをchanceの中に放り込んでいくこと、つまり「信頼」なのだと思う。息が詰まるような上昇気流のなかで、彼らが隠そうとしているものの正体、背筋を走る冷たさは、分かるようでいて分かっていない。(完璧なキーで歌うマイケルの能面のような表情、シンディ・ローパーの繊細な振舞いを見よ。)
午前に予定の作業が終わって、まるまる空いた午後はYoutubeを見ながら漫然と過ごした。気を抜いたせいで、清水翔太という歌手が歌う『化粧』を聴いて泣いてしまった。

自分が不寛容な人間だから、「パンがないならケーキを食えば良い」、「負けを認めたら寛容にしてやる」というマリー・アントワネットたちの歌なんて聴きたくない。歌を聴くときくらいは、弱さゆえに不寛容な孤児たちに向かう優しさもあるんだと信じてみたい。