ブッシュ大統領の面前で政府の政策や大統領の人となりを愚弄するコメディアンの動画。スクリプトこちら

事件の場となったホワイトハウス記者晩餐会というのは、年に一回、ホワイトハウス担当記者と政府関係者とがセレブリティーも交えつつ食事をしながら馴れ合いを深めあうために開かれる催しで、2006年の晩餐会にはファーストレディー、統合参謀本部長、司法長官等の面々も同席していたという。容赦ない風刺にオーディエンスは引き気味、不穏などよめきが起こり、大統領の顔は紅潮し、退席者も出るという異様な雰囲気の中で、Stephen Colbertは迎合や日和の姿勢を一切見せることなく20分間にわたる芸を完遂する。"gutsy"とはこのようなパフォーマンスにこそ相応しい称号ではないだろうか。
曰く、
『私の信念は、最も統治するところの少ない政府こそ、最良の政府だというものだ。その意味で、我々はイラクに申し分のない政府を樹立することに成功した。』
『大統領の支持率が32%だという世論調査があるが、我々のような(脳ではなくガッツでものを考える)人間はそんなものなど意に介さない。なぜなら、世論調査というものは、人々の考えを"リアルに"反映したものだということを我々はちゃんと知っているからだ。そして言うまでもないことだが、"リアル"という言葉にはいつもリベラルなバイアスがかかっている。』
『それに32%という支持率は、68%の人々があなたがやることに反対だ、ということを意味しているわけでは決してない。もしそうだとすれば、68%の人々はあなたがやらないことに賛成だ、ということになるではないか。』
こと政治や権力に対する舌鋒の鋭さという点に関しては、宗教戦争や世界大戦の時代も命を繋いできた分厚いユマニスムの伝統をもつ欧米のお笑い界の方に一日の長があるというべきなのだろうか。松下アキラの小泉純一郎も、松村邦洋安倍晋三も面白いんだけど、逆に今の日本では、がんばってもこのレベルだろうなという思いがある。

先週、たまたまつけたテレビで全共闘運動にかかわった人々に取材した番組をやっていてその中で印象的だったシーンがある。安田講堂事件で多くの逮捕者を出して弱体化した東大全共闘が、自らの運動の原点を固めなおす試みとして教養学部三島由紀夫を招いて討論会を開く。当日学生代表として三島と論を戦わせた小阪修平は、当時を振り返ってこのように述懐する。「マルクス・レーニン主義を信奉し三島とは全く意見を異にするはずの血気盛んな学生たちの間に、天皇主義を語る三島に対して、微笑みながら同調する空気があった。それは決して彼の主張に対する論理的了解ではなく、世界的大作家が醸し出すオーラへの情緒的納得のようなものだった。このような非合理的な空気の動きが、(直接的にではないにせよ)連赤の「総括」等に収斂していく過程を読み解くことが日本の思想にとっての大きな課題なのだ。」と。
論理的整合性、倫理的一貫性を追求することが原理主義と呼ばれ疎まれかねない風土は、ユマニスムにとって決して豊かな土壌とはいえない。