領土問題において、実効支配が確立している地域の領有権を移転する方法は、国際司法裁判所(ICJ)への問題の付託か、戦争かの二通りしかない。ICJへの付託に両国の同意が必要とされる以上、相手国が同意しない場合は、宣戦を布告し、武力によって勝敗を決し、講和会議において新たに国境線を確定することが唯一の解決手段になる。他のどのような政治的言動も、紛争の解決には寄与しない。相手国の不同意を承知した上でICJへ提訴したり、遺憾の意を表明したりしても実効支配の転覆には役立たないし、大統領の訪問や、サッカー選手にプラカードを掲げさせる行為によって、紛争地域化を目論む相手国の領有権の主張を抑えることもできない。したがって国境線を一ミリも動かすことのないこれらの政治的言動には、紛争解決とは別の目的が潜んでいるとみる必要がある。
膠着状態に陥った外交問題ほど、為政者の国内統治にとって便利な道具はない。揮発性の高い問題をうまく選び、頃合いを見計らって火をつけて、国民感情の炎を外敵に向けることができるとあらば、天然資源等の余程の国益がかかっていない限り、為政者が、世論を手っ取り早く操作するスイッチとしてのこの手の問題を手放す(解決してしまう)理由はないと思われるほどだ。彼らは自らの無策、失政から国民の目をそらしたい時、進退のかかった選挙が近づいた時ほど、この手の問題に与する誘惑に駆られる。どの国でも国民の大多数は政策の実効性よりも精神論で政治家をみているから、「弱腰」と映らないこと、「毅然」と見える態度を貫くことが何よりも重要である。タカ派で鳴る対立政党の政治家が、人気を沸騰させることにも警戒しなければならない。慎重を要する道のりではあるが、外交上の紛争は概ね現政権への支持を維持する方向に働く。実際、かの国の大統領は、「弱腰」というレッテルを払拭したまま年末の選挙にのぞむことができるだろう。
現政権もあの醜悪な政治決定からの目眩しに見事に成功した。あまりのタイミングの良さに、両国間に密約めいた取引があったのではないかと邪推してしまったほどだ。今も疑念は消えないが、それがあながち的外れではないとすれば、政権交代当初、権力の扱いに長けていないと揶揄された現政権がこの三年間で身につけた手練手管には感心するばかりだ。国民の意思を背負い官僚に対して揮われるはずだった権力が、全く逆方向に向かって花開いていることを考え合わせると、なおさら味わい深いものがある。今の政権なら、話題になっている少年たちの逮捕についてもタイミングを逸することはあるまい。