東京の日の入り時刻に合わせて、奥さんを後ろに乗せ、みなとみらいへ行ってきた。あそこも一昔前と比べるとだいぶ様子が変わってきたね。ランドマークとクイーンズの間の広場から北西に伸びる遊歩道に沿った景観なんか、前はもう少しすっきりとしてひらけていたけど。歩道の先に孤独に光っていたNTTドコモのメディアタワーはいつのまにか手前に幅の広い不恰好なビルが建っていてもう全貌が見えなくなっている。新しくできたマンションか何かなのだろうな。けやき通りにかかる橋から他の方角を眺めてみても、目に入ってくる光の量が多くてどうも落ち着かない。全体的に眺望が狭くなっている。「風の通りも悪くなったような気がするね」と奥さん。学生だった頃、長距離バスで渋谷に到着した彼女を迎えに行くとそれから大きな荷物を引きずって毎回のようにこの場所にやってきた。地図上の線引きは当時すでに終わっていて区画自体は今とほとんど同じだが、まだそのほとんどが空き地だった。クイーンズスクエアができたのが1997年。平日の早朝ということもあって涼しく、他に誰もいない通路を歩いていると、天井の高いmarbleな空間が、朝日を浴びて輝くストーンヘンジのように見える錯覚を覚えた。当時の日本資本主義にとってウォーターフロントの開発は文字通り拡大・進出のフロンティアだったんだろう。コンクリートに蔽われた岸壁から海を眺めているだけで感じられた非現実的な開放感と好奇心はおそらくこのことからきていた。船首に立つ。目的地は見えない。風が体を包む。この船と共に自分も確実にどこかへ向かって動いているという感覚。社会に出る前の学生にとって、自分の搭乗している船がエーテル内で移動していることを感じることのできる貴重な場所だった。マンションが建ち、小学校が建ち、社会の中で一等の地位を占めたと自覚する人々が大量に居住することで、ウォーターフロントは人々に時代の行方を啓示する役割を終えたのだろう。それはフロンティアから、ある種の人々にとっての生活圏になった。
夏休みのせいか人出が多い。高級イタリアンの予約席で食事をしている人々はおそらく新しく移ってきた居住者だろう。人気料理店の前で行列を作っている若者はホテルに宿泊する観光客だろうか。なるべく空いている店を探してカレー定食を食べる。スタバでアイスカフェアメリカーノを飲みながら休憩。他の客はみんなクリームたっぷりのを頼んでるけど最近のうちらはもっぱらこれだ。会社の友達のエピソードを聞いたり、今後の仕事の計画をメモしたり、スタバのロゴの一部を隠してムンクの『叫び』を作ったりして過ごす。それから臨港パーク付近まで散歩。国立大ホール前では幾組ものカップルが海に向かって間隔を空けて座っていた。ベイブリッジや工業用の埠頭を望む景色は相変わらず魅惑的。真っ黒な海からは用途の分からない土木建築物がいくつも突き出し、ベイブリッジの真ん中では事故があったのだろうか、非常用のライトが激しく点滅している。これらの織り成す光の帯は教会のステンドグラスのように静かで厳か。こういう景観を用意して人々の信仰心を鼓吹することもまた文明の不文律なのだろう。奥さんは流れ星が見えたと言っていた。