デジタル放送のチューナーがなく(番組表予約ができない)、DVDドライブも故障していて(録画した番組を持ちだせない)長らく不便を極めていたHDレコーダーを年末にようやく買い替えて、我が家にも快適な視聴環境が戻ってきた。早速あれもこれもと番組表を見ながら録画して喜んでいるが、何より番組をBDに焼いて深夜に自室のPCで見られるのは年末年始にお誂え向きの楽しみだ。ゴールデン枠に移動してからしばらく見ていなかった『人志松本のすべらない話』や、この一年の遅れを一気に取り返すべく歴史の本を片手に追っている『龍馬伝』の総集編も(意外に)面白かったけど、ここ数日見たものの中で後々まで記憶に残りそうなのは『ペーパープリントが語る 100年前のアメリカ』というドキュメンタリー番組だった。1912年になるまで、アメリカでは映画フィルムの特許は認められていなかった。そこでエジソンを始めとする映画(といっても、芸術性や娯楽性を追求したストーリー仕立ての作品はごく一部で、大半は当時のアメリカの記録映像)製作者たちは、一コマ一コマを紙に印刷することによって、写真の連続として映画の特許を申請しようとした。百年後の世代は、この顛末の恩恵を意外な形で受けることになる。というのも、年を経るごとに腐敗が進むプラスチック製のフィルムに比べて、紙に印刷された映像の保存状態が格段にすぐれていたからだ。議会図書館で見つかったこの大量の「ペーパープリント」は、再び一枚一枚フィルムに焼き直され、映像として残る人類の最初期の姿を百年ぶりに僕らの前に現すことになった。そしてその舞台は他ならぬアメリカだった。
移民たちが船上で目にしたエリス島や、建造後間もない自由の女神像。漆黒の夜空を巨大なサーチライトで照らすパン・アメリカン博覧会におけるElectric Towerの輝き。紳士淑女が戯れるコニー・アイランドの遊園地…。アメリカ文明にとって太古の記憶ともいえるこれらの映像は、なぜ遠く異国の住人までも郷愁に誘う力をもっているのだろうか。それは、僕が住む国がアメリカに負けたことや、僕自身がアメリカに住んだ経験があること、主にフィッツジェラルドを通して二十世紀初頭のアメリカにとりわけ個人的興趣をそそられていることとはおそらく直接の関係はなく、当時の人々が移動の際に目にした風景の記憶や、最新の建造物から受ける物神的イメージが、(東京スカイツリーの建設が去年の僕らの耳目を集めたように)現在の人々にも同じように作用しているからではないかと思う。映像と人間との関係のプロトタイプはすでにその頃に出来上がっていた。そのことを示唆してくれたのが『WAR SHOW』と題された第二回目の放送だった。ここで描かれたのは、初めて映像に記録された戦争となった米西戦争の帰趨で、良く知られるようにこの戦争は、メイン号の爆発事件に端を発している。9・11の際にいくつかのメディアによって言及されたこの事件は、現代史においてはメイン号に積まれていた魚雷の爆発によるものであったことが定説となっているが、当時の新聞はスペインの攻撃によるものと決め付けて報道し、アメリカ国民にスペインを敵視する姿勢を植え付けた。星条旗を掛けられた棺を運ぶ犠牲者たちの葬列の映像によって国民は、敵国への憎悪を更に募らされていく。憎悪を煽る映像が観客を惹きつけることに気づいた映画会社は、こぞってこの種の材料探しに奔走し、メイン号に似たマサチューセッツ号を爆発前のメイン号と偽って報道、「失ったものの大きさを人々に訴えかけ」たりもした。こうして盛り上がった好戦的な世論が開戦に消極的だった大統領を後押しして、ついにアメリカとスペインの間で戦争が始まる。戦中も映画会社は、実際の映像と人為的な再現映像の入り混じった戦闘シーンを「WAR SHOW」と銘打って公開し、大勢の観客の動員に成功した。サンチアゴ湾の海戦での圧倒的な勝利で幕を閉じるこの戦争の間、人々は映画館へと通い、スクリーンに映し出されるアメリカの雄姿を目に焼きつけ続けることになった。そこに映っていたのは、旧体制の大陸に戦いを挑む新興国アメリカのファイティング・スピリットであり、正義の戦争に打ち勝った英雄的大国としての自信に満ちた姿であっただろう。スクリーンという鏡像を通して、青年期のアメリカはそうした自己意識を固めていくことになった。そればかりか、それ以後「アメリカ」というイメージは、さまざまな映像を通じて膨大に複製され、世界中に拡散していくことになるだろう。フィッツジェラルドが綴る文章の隙間に宿る郷愁、映画『ゴッドファーザー PARTII』が映し出すアメリカの哀愁の裏側にも、この鏡像の断片が煌めいている。