「母ちゃん、スマホいいじゃん。買ってもらってよかったね」
ショップに連れて行ってもらえず、自分が学校に行っている間に勝手に契約してきたことに、最初は抗議していた息子の言葉。このことを記した日付で、それまで数日おきにつけていた日記が途絶えている。
この頃はまだ、春休みにオーストラリアへ行こうという計画が生きていたのである。旅の目的はメルボルンに住む妻の友人母子を訪ねること。航空券とホテルの予約は年末に済ませ、年明けてスマホを新調し、これから追加でスーツケースなどを買わなければと考えていた。ウィルスはまだ東アジアに止まっていて、感染者を数え始めた日本の雑誌には「『新型肺炎』で買いの銘柄!」等の記事が踊っていた。
情勢の変化は驚くほど急だった。旅行を正式にキャンセルしたのは出発予定日のちょうど一ヵ月前の2月26日。そのときの妻の友人の受けとめ方は、「日本がそれほど大変なら仕方がないよね」というようなものだったと思う。一ヵ月経ってオーストラリアでの入国禁止と国内旅行の制限措置が決まる。ホテルに勤める知り合いもクビになったと、彼女から知らせが届いた。そして帰国予定日だった4月の初旬に、日本でも入国拒否の措置が決まる。
小学校が休校になり、自分も出勤を控えるようになり、毎日が週末のような奇妙な日々が続く。なぜかは分からないが、この間まったく日記をつけなかった。思えばホッと息をつき時に感傷的に自己を浮遊させていた一日の終わりの時間が失われていた。その代わりに、自分の不安を映すワードを次々に検索しては世界の人々の不安の反響を聴くという、切れ目のない反復が続いた。首相の会見と、日々の感染者数を伝える7時のNHKニュース以外に、日付のついたまとまった記憶を思い出すことができない。公園で子どもたちが喧嘩をしたのはいつだったのだろう。
河から岸を見上げる僕の目線の先に、チェアに腰かけた妻が犬をあやしている。巨大なトビが時の流れを狂わせるように風の中を舞っている。
家族でドリフを見て笑ったのは、いつ?雪が降ったのは、本当に桜のあとだった?