新幹線のチケットにある指定の座席を見つけて腰を下ろしたあとに大人がやることといえば、ほっと息をついてペットボトルの水を飲みお菓子の袋を開ける、持ってきた本や雑誌のページに目を通し始めるといったところだが、自分もかなり前からそんな大人になってしまっている。けれども子どもにとっては旅行における移動のもつ意味が少し違っている。大人にとって旅程上の区切られた時間であり、電気機械の運動に身を任せながら到着時刻を待つ以外の責任を課されない受動の時間であるところの移動が、自らの展開に伴って子ども関心の内に引き起こすもの。当然それは「あと何分」といった時間の感覚ではないが、おそらく車窓が見せてくれる風景や地勢の変化といった情緒的なものでもない。何かが始まり(発車ブザーが鳴り)、何かを横切り(ローカル線の線路と交錯し)、何かに到達する(海岸線に達する)。そこに現れる、信じられないスピード、生の音と光、風景ではない事物そのもの。大人たちが本にも飽きてうとうとし始めたころ、海側の窓を凝視していた息子が動転するように叫んだ。「あっ、たんさせんちきゅうだ!」。「???」。「た・ん・さ・せ・ん・ち・き・ゅ・う!」。「???」。あっという間に視界から去っていくそれを前に要領を得ず、イライラさせて申し訳ないけどそんなものは知らない。諦めて妻からスマホを踏んだくり写真に残そうとしていた。