大人を伝って、とある友だちが野球をやめさせられるという噂をきいた。気安さから発した質問は即座にカウンターを喰らった。
「そんなの自分で決めるだろ。周りの大人がぐじゃぐじゃ言うことじゃない」
興味本位で俗な探りを入れた自分が恥ずかしい。
けれど思い返してみると自分も初めからそうだったわけではなかった。自分だけじゃなく周りの子も。目の前にいる相手とその言葉だけで充足していたから、大人たちの批評は町の看板がビラビラ鳴るのと同じで言葉として入ってこなかった。
先生に怒られている友だちを見て、その先生が発している悪罵をそのまま信じる子がいただろうか。説教のあと子どもたちは誰の周りに集まったか。
あの家は親が怖いからと言われた子はうちらの間では頼れるヒーローだった。今ならがり勉と言われそうな子は何でも知ってる天才で、友だちを校則違反に誘う子は大人世界への冒険者。何を考えてるか分からないと大人たちに薄気味悪がられた友だちとは何時間話しても飽きなかった。
さて、今振り返ってどちらが正しかったか。