自粛明けを祝って、ボランティア先の仲間と海の方へ行った。魚介屋で定食を食べ、車の中で話し、余った時間は高い崖のある岬で曇った空と海を見て過ごした。黒い鷺のような鳥が、音の聞こえない遠くの方で水にもぐったり浮かんだりしていた。そのうちに、霧のような雨が降った。
帰り道、なぜだか寂しくなって、そうだ、いつもの公園をのぞいてみようと思った。学校は始まったけれど、自粛期間中あれだけ元気に遊んでいた子どもたちのことだから、こんな雨の中でも勢揃いして走りまわっているかもしれない。野球とか鬼ごっことかをやっていたら、自分も参加して少しは気が晴れるかもしれない。
木立の間から漏れる声がないことで、大勢の子どもたちが集まっていないことはすぐ分かった。見ると、黒く濡れたグランドの真ん中あたり、以前はピッチャーマウンドにしていた場所に子どもが二人、向かい合ってしゃがみ込んでいるだけだった。その他は誰もいない。滑り台もブランコも、ワンちゃんが好んでおしっこをした草地も、等しく雨を吸って濡れていた。
二人の子どもは息子と親友だった。公園の柵越しに声をかけると、みんな来るかと思って待ってるけど全然来ないと言った。そうなんだ、と言って公園に入ろうとすると、またあとで、と撥ねつけるように言われた。その声音に押されてそれ以上近づけなくなった。
これでも自粛期間の初めの頃は、乞われて遊びに参加していたのに、という気持ちが湧いた。外で遊んでいいんだとなって、まだ少しぎくしゃくしていた子どもたちの間に立って、なるべく密にならない遊びの提案をした。鬼をやっていつまでも捕まえられず泣きそうになっている子の手伝いをしたり、みんながやりたがらないキャッチャーや審判をしたりした。眉をひそめて文句を言ってくる大人を説得したこともある。その頃は多くの子が躊躇もなく僕のことを下の名前で呼んでいた。あっという間に呼び名が広がったことに驚いたけれど、親しみを感じてくれているんだと思うと気分は良かった。
子どもたちが互いに打ち解け、走力にも捕球にも自信が出てくると、僕が務めていた席は自然に他の子たちにとって代わられた。鬼は泣かなくなり、子どもたちだけで野球が成立するようになった。あるときから彼らが僕を呼ぶ声に照れが混じるようになる。公園に行ってもベンチで眺めているだけという日が増えてくる。学校の再開日が発表されたのはそんな折だった。
踵を返して、終わりかけていたことの本当の終わりが来たのだけじゃないか、と自分に言い聞かせた。去り際に一瞥すると、地面に穴を掘っている二人が二羽の黒い鷺のように見えた。