「明日、もう運動会か」と独り言を言いながら息子が学校へ出て行った。「まぁ同じことをやるだけだけど」
小学校に入って三回目、正直慣れたり飽きたりしてきた部分もあるのだろう。それに加えてソーランもかけっこもリレーも、このひと月ずっと学校で皆と練習してきたという自信の蓄え、成るようにしか成らないという開き直りもあるのかもしれない。とはいえ、全力をしぼり出すことが強いられたうえで、はっきりと勝負が決する勝負事、そこから尾を引く浅ましいまでの感情の動揺は、先々週、試しに出場した地域の運動会で身につまされた。あの日は大人たちの方がよほど落ち着きがなかった。競技の前も人だかりの中でそわそわして、終わったら階謔、おべっか、無駄話で感情の後片付け。なあんだ、いざとなったら子どもたちの方が堂々としてるじゃないか。大人たちよりずっと天候不順な心を抱えて、沸き起こる嵐を日々、逞しく受けとめてがんばっているのだ。
明日は運動会。午前中は家にいて、カメラを取り出して動作を見たり電池の残量を確認したりした。妻は横に新聞紙を広げて、包丁で明日のお弁当のために栗の殻を割っている。「去年お母さんが炊いてくれた栗ご飯、お母さんの手が悪かったから、お父さんが手伝ってくれたんだよね」。僕はそれは覚えていなかった。今年は妻のお母さんが体調と仕事の関係で来れないから、それを寂しいなとは思う。五年間、毎年金曜日の夕方にやって来て、腕をふるってすき焼きを作ってくれた。狭い台所で忙しそうに動く母子は生き生きとして見えた。「去年までずっとこの日はママが来る前に掃除をしてたから、今日も午後にちょっとやろうかな」
昼食はテレビを見ながら二人で食べた。期せずして見始めたのは、太宰の『津軽』を扱ったNHKの番組。この小説、ラストでたけという乳母との再会があるのだが、その舞台は故郷の学校の運動会なのである。

その学校の裏に廻つてみて、私は、呆然とした。こんな気持をこそ、夢見るやうな気持といふのであらう。本州の北端の漁村で、昔と少しも変らぬ悲しいほど美しく賑やかな祭礼が、いま目の前で行はれてゐるのだ。まづ、万国旗。着飾つた娘たち。あちこちに白昼の酔つぱらひ。さうして運動場の周囲には、百に近い掛小屋がぎつしりと立ちならび、いや、運動場の周囲だけでは場所が足りなくなつたと見えて、運動場を見下せる小高い丘の上にまで筵で一つ一つきちんとかこんだ小屋を立て、さうしていまはお昼の休憩時間らしく、その百軒の小さい家のお座敷に、それぞれの家族が重箱をひろげ、大人は酒を飲み、子供と女は、ごはん食べながら、大陽気で語り笑つてゐるのである。
(太宰治津軽』)

子どもの頃は運動会を悲しいとも美しいとも思わなかった。あの頃は僕たちにも大人にはない強さがあったからなのだけど、その強さがいつの間にか無くなって、しかもそれはもう二度と取り戻せないと知ったときから、風景の色が少しずつ変わってきた。色褪せてくるもの、陰を帯びてくるもの。反対に、生きていることが当たり前じゃなくなったときから、それでも(時には)みっともなく生きていく者への褒美として、世界の方から送られてくる意味のある信号。
万国旗やお座敷、お弁当。それらに秘められていた予想だにしなかった美しさをも、僕らは受け止める。呆然、夢見るやうな気持で。